モーターを積換えて怪しげに走り出しましたが、停まらないのは困るだろ〜と言う事でブレーキ装置を製作しました。
08真鍮板から切り出した動輪押さえ板に別に切り出した梃子を取り付けたところです。梃子はキャブ下で目立つように押さえ板の幅より広く作りました。 小径動輪の為、ブレーキシューは押さえ板に直接取付けて丁度良い位置に収まりました。(^^ゞ。
梃子自体は05板から切り出して、梃子の支点をペタンと押さえ板にハンダ付けしただけです。梃子のシャフトには太さが08の虫ピンを利用しました。
ブレーキシューは古い天賞堂製品です、(^^ゞ。C59あたりのパーツかと思いますが、加工無しで転用しました。真面目にOナローに取り組まれている方からは、こんなブレーキシューはボールドウィンじゃないよ!と叱られそうです、(^^ゞ。
手前がオリジナルの動輪押さえ板です。最初はオリジナルパーツにブレーキシューが付けられないか?と考えましたが、厚さがあり過ぎてブレーキシュー位置が下がってしまい諦めました。梃子の取付けも押さえ板を新製したほうが簡単です。
集電ブラシは第1、第2動輪が動輪のタイヤ後部、第3動輪はタイヤ上面を擦りますから、ブレーキシューには干渉しません。小径動輪の為に動輪間が広く、ブレーキシュー無しでは間が抜けますから、C59型用パーツでも無いよりははるかにマシと言う事で、ゆるっと合格としました。(^^ゞ。
僕の住む宮城県は仙台鉄道、仙北軽便鉄道、仙北鉄道、栗原鉄道など、規模の大きな軽便鉄道が沢山ありました。乗車した経験は仙北鉄道だけですが、東北本線との接続駅である瀬峰駅では、最盛期には1日あたり50トンの貨物扱いがあり、乗降客も多く、たいへん賑わった軽便鉄道でした。軽便と言うと寂れた雰囲気を連想される方が多いかと思いますが、蒸気軽便の時代は、軽便鉄道沿線では軽便が最大の輸送手段だったのですから賑わいは当然です。(^^)b。作るからには軽便蒸気機関車全盛期!。と我軽便鉄道の1号機をいじりながら、妄想ばかりが先走るのでした。