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山の汽車、会津只見線のC11その2

只見川に沿って地域の物流を担った只見線には、蒸気鉄道らしい数々の情景がありました。

到着した列車から駅舎に向かうため、ホームの端のスロープを下り、機関車の直前の踏切を渡る乗客。踏切から溢れた人は線路の砂利の上を歩いています。 駅のプラットフォームは真ん中の踏切を挟んで上下線が配置され、これなら踏切を列車が塞ぐ事がありません。またプラットフォームの端をスロープにすることで荷物車に積込む小口の荷物を運ぶリアカーも容易に線路を渡れます。乗客が踏切を渡りきるまで列車は発車出来ませんが、それだけ蒸気鉄道の時代は時間の流れが緩やかだったようにも思えます。踏切から給水タンクの間には小さな花壇が作られ、給水する機関車を花々が優しく見守っていたのでしょう。

停車中に給水するC11。テンダー機関車ほど水を積み込めないC11ですから、頻繁に給水が必要で、線路際に水タンクがない所は給水スポートを建て水を補給しました。線路の高さから櫓が組まれ、水タンクに取り付いている作業員はさながら高所作業です。乗務員は駅長と何やら打合せていますが、停車中の情報交換も鉄道員の大切な仕事なのでした。

 

待つことしばし、対向する列車がやって来ました。只見線は当時は盲腸線でしたが貨物の量が多かった為、C11牽引の客車列車が残っていたのでしょう。到着した列車の機関士から駅員が通票閉塞のタブレットを受け取り、待機していた列車の機関士が受け取って確認して漸く列車交換が終わります。単線と言うとローカル線のイメージを持ちますが、電化前の東北本線奥中山も単線でしたし、旦那トンネル開通前の東海道本線、今の御殿場線も単線で、C51の引く特急ツバメを新製のC53が国府津から後押しして御殿場駅構内で走行解放するなど、たいへんな輸送量を単線でこなした記録もあります。複線こそごく限られた大幹線や都市内高頻度輸送の形態であり、一般的な鉄道にとっては単線が当たり前だったのです。

駅の構内に建てられた線路班詰所です。本線と直角に置かれたレールはトロッコや足漕ぎの巡回車の為のものです。建物のまわりには古枕木、建物の先には角のキッチリした新品の枕木も見えます。線路班の毎日の巡回整備も、C11を安全に走らせるために欠かせない仕事なのでした。

トラスとガーダーからなる鉄橋を渡るC11。長いスパンはトラス橋、短いところはデッキガーダーと鉄橋の構成が良く解る画像です。 引かれている貨物列車は機関車の後にワフ、更にズラリと空のトラを連ねています。空のトラは貨物のある途中駅で切り離し、地域産品を積込んだ積車の貨車を増結して会津若松へと向かいます。途中の入換を考慮するとワフは機関車の次位が便利です。当時山の幸の最大の産物は材木で、丸太や製材にシートをかけたトラはどこでも見かけました。蒸気機関車が全廃になった頃から林業も衰退し、雑多な貨物を積み込んだトラの車列もいつしか消えてしまったのです。

只見川に沿って走るC11。 擁壁を組んで線路を敷き、短いスパンのガーダーを連ねる為に橋脚を建ててと、建設の苦労が伝わる情景です。険しい山と深い雪が冬場の道路事情を悪化させ、只見線だけが交通手段となっていた状況もうなづける光景です。

フロントデッキに雪を乗せて力走するC11。会津若松で受け取った貨物を運び上げます。列車ジンガリのワムは、冬越えの資材が積まれているのでしょうか? 地域の輸送を担っての奮闘は続きます。

C11の冬支度・スノウプラウ会津若松機関区にて撮影。

 写真提供  加藤 潤  横浜市