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蒸気鉄道は面白い、奥羽本線陣場駅の冬。

汽車仲間から画像データを借りたので、蒸気鉄道時代最終期の情景を御紹介いたします。

逆向き単機回送のD51。3トン重油タンクがリアビューの迫力を増しています。坂を下っていますが、上り勾配の補機仕業につくためドンドン石炭を焚べているのか、ブロワーが効いて黒煙も出ています。上り勾配で加減弁を開けていると、シリンダーからの排気でモリッモリッっと煙が立ち上がりますから区別できます。模型ではターンテーブルの設置が難題なので、逆向きに限らず単機回送は、模型でドンドン使うべき運用でしょう。

絶気運転で坂を下るC61。下り勾配6パーミルの表示が見えます。続く車両はマニ60でしょうか? トラック輸送が盛んになる前、つまり鉄道輸送全盛期は、小口の荷物は全て荷物車が運んでいました。駅のホームの端にはスロープがあり、リアカーなどでに小口荷物を積んで駅舎まで運んでいました。大駅にはテルハクレーンが設置され、鉄製の台車がユラユラ揺れながら線路の上、車両の上を越えて運ばれていました。ミカン箱、リンゴ箱から布団袋、犬箱まで、雑多な荷物が駅の賑わいのひとつになっていたのです。

雪の山間に噴煙を吹き上げ登坂するD51。排気音は時に空転して乱れ、撒き砂を噛んでレールを踏みしめ直して頂上へと進んでいきます。勾配線での補機といえば重連が思い起こされますが、乗務員の煙害、熱害を考えると陣場のような後押しが有利です。ただ前引き後押しの機関車の運転の連絡は、列車内電話や無線の無い蒸気機関車では汽笛によって合図するため、頂上付近に長いトンネルのある区間では重連と呼ばれる前補機が使用されました。本務機の汽笛に呼応する後部補機、連続する排気音に負けない大音量の汽笛が谷間にこだまして、上り勾配での奮闘の終了を告げるのです。

荷物列車の後部補機で絶気状態のD51。自動連結器は密着していないため、押し引きでガシャガシャと暴れるので、勾配区間が終われば、先頭の本務機の速度回復に合わせて後部補機は押す力を絞り、引かれるような按配で列車に付き従わなくてはなりませんから、本務機との汽笛のやり取りが非常に大切だったのです。 画像のD51型は角型ドームと船底テンダーが特徴の戦時設計型です。粗製濫造と言われた戦時設計型ですが、不調の機関車から淘汰され、あるいは新造のボイラーに積替られ、蒸気機関車時代の最終期に於いても活躍し続けていたのでした。

墨絵のような景色を背景にした駅構内。駅舎に沿って様々な詰め所が立ち並び、雪に閉ざされてもなお、輸送を確保し続ける鉄道の頼もしさが伝わります。線路を挟んで照明用の電柱、線路と駅舎の間にトランスを乗せた高圧の電柱、画像の右端にはハエ叩きと呼ばれた通信柱が立ち、駅構内全体に活気を与えています。進入する列車は構内に差し掛かっても煙を吹き上げて力行していますから、通過貨物列車かもしれません。峠越えの補機を連結する駅であっても、全ての列車が停車するのでは無く、弘前から補機を連結して一気に峠を越える表定速度の早い列車もあって、列車のバリエーションは豊かに、機関車の運用は複雑になっていたのです。

しっかりと除雪された待合室。列車到着まで乗客は駅舎の待合室でストーブにあたっているのですが、ホームの通路を確保し、待合室もきれいに保たれています。昔の情景ながら、どこかに凛とした雰囲気があるのは、峠に向かう補機が配置された山の駅の心意気でしょうか。ブロワーが効いたD51は発車間際なのか、今にも安全弁が吹き上げそうな勇ましい姿です。

陣場駅の駅舎です。D51が常駐し、C61が行き交う幹線の駅にしてはこじんまりしています。峠越えの補機の解結や、本線列車の交換の為に駅の規模は大きくても、駅舎そのものは乗降客に合わせますから、さほど大きくはならないと言う例です。駅舎のサイズよりも、線路班詰所、乗務員詰所、電気班詰所、風呂場、倉庫、官舎など付属する建物が立ち並ぶ事で、幹線の要衝らしい雰囲気が醸し出されます。そして駅舎の脇には立派な鉄道信号柱が立ち、列車密度が高い、輸送量も多いんですよと教えてくれているようです。多くの鉄道員と乗客、荷物の発送、貨物の持ち込みが駅や鉄道運営を形作る、そんな毎日が雪に閉ざされた陣場駅でも営まれていた事を感じていただければ幸いです。

 

撮影・写真提供 加藤 潤 横浜市