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雪の奥羽本線、C61の東北地方最後の活躍。

動態保存で人気のC61形式ですが、東北地方での最後の活躍は各駅停車と荷物列車でした。

雪のプラットフォームに停車中のC61。機関士と駅員が列車運行の打合せをしています。奥羽本線は単線でしたから、雪でダイヤが乱れると途中での列車交換や追い越しなどで遅延時間に応じた対応が必要になり、機関士と駅員の情報交換が非常に大切になります。 このC61の2号機は保存機になった機関車ですが、奥羽本線時代は盛岡工場の補助除煙板が外されスッキリしたフロントビューを見せています。東北地方初の特急はつかりブルートレインゆうづるの栄光を捨て地味に各駅停車を引く姿にも急客機の風格が感じられます。

駅員がキャブに乗り込んで、更に入念に打合せを行っています。機関士にとって行き先の線路状態や列車交換の退避の確認など、運転の情報は駅での連絡に頼るしか無く、ましてや豪雪時での回復運転ですから、聞きたいことは山程あり、また道中の苦労話を交えて、ラッセルの必要性をも伝えているのかもしれません。蒸気鉄道時代には鉄道電話が最新の情報機器で、いったん発車してしまえば、吹雪に瞬く信号の灯りだけが頼りという状況でしたから、機関士の判断は重要で、輸送の重責を担っているという意識も高かったのでした。

C61型の引く夜汽車の行手を構内の照明灯が照らし出します。太平洋戦争後の旅客用機関車の不足を補うために開発されたC61型は、当時旅客用の主力として戦後も製造されたC57型に準じた性能を求められ、東海道山陽本線以外の主力機として登場しました。C57型の4次型と同じ規格のシリンダーを持ち、ボイラー圧力はC57型よりも1気圧低く、更に動輪上重量もC57型よりも軽い為、出発時の牽引力はC57型よりも劣ると言われたC61型でしたが、東北本線常磐線に集中配置され、各機関区では新装備のメカニカルストーカーの操作技術が積極的に研究され、連続高速運転での高負荷では、焚口扉を開けること無く投炭でき、ボイラーそのものはD51型と同じ大型ボイラーで蒸気に余裕があり、各駅停車よりは急客に向くという判定がなされて、長く急客の先頭に立ち活躍しました。戦後の混乱期にも輸送を果たすために、前向きに新型機の性能を引き出そうとした配属先の機関区の乗務員や整備士たちの熱い思いに応えて活躍を続けたC61型は、東北や九州に住む人々にとって忘れ得ぬ名機と言えるでしょう。

噴煙を吹き上げ峠に向かうC61型。巻き上げる雪煙で従台車、テンダー台車が雪まみれになっています。こびり付いた雪は停車ごとの点検や各箇所への注油の邪魔になり、雪中での回復運転を更に困難にしました。手間暇のかかる蒸気機関車を使いこなして定時に列車を走らせる事に誇りをもって勤めた多くの鉄道員の支えが、この勇姿の後ろにあります。このC61型では、煙突まわりに取付けられた盛岡工場の補助除煙板が見えます。C57型のテンダーに比較して石炭の積載量が2トン少ないので、テンダー前方の上辺は高く嵩上げされ、大型機の風格を更に勇壮にしています。線区に、また運用に合わせて工夫した改造を重ね活躍した蒸気機関車は、まさに手塩をかけた愛機と呼ぶにふさわしいのではないでしょうか。

陣場駅の時刻表です。山間の補機を連結する山の駅ですが、大阪行特急日本海や上野行急行津軽大館駅連絡時刻表が掲示されているように、まさに大動脈の要衝のひとつであることを表していました。この峠の区間は電化とともにトンネルが掘削され新線に切り替えられたので、奮闘した鉄道員蒸気機関車の歴史も、知る人ぞ知る遠い昔話になってしまいました。

奥羽本線、雪の陣場駅。

写真提供  加藤 潤  横浜市