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宗谷本線・抜海へ。C55、9600

利尻富士を臨む海岸の丘陵を、寒風の中、ひたすら走った蒸気機関車の記録です。

利尻富士を左に見ながら稚内に向かう9600型蒸気機関車。距離の長い宗谷本線に動輪が小さく速度の遅い9600が使われていたのは不思議です。D51を使わなかったのは、稚内という北の果てに向かう、つまりは稚内に向かって、運ぶ貨物も次第に減っていくからなのかもしれません。確かに道北には9600型の活躍する路線が多かったのも事実です。9600型は8620型と並んで大正時代の名機と呼ばれた機関車でした。太いボイラーと動輪の上に乗せた広い火室を持ち、中型ながら強力な機関車です。D51には牽引力も速度も及びませんが、従台車が無い為、機関車本体の総軸距が短く、線路に対する横方向の負担がD51に比べると格段に少なく、線路班には評判の良い機関車でした。

稚内からの貨物列車を牽引する9600。  太いボイラーに小さな動輪という特徴がよく分かるショットです。ピストンの往復運動を直接動輪のクランクにメインロッドで伝導する構造を持つ蒸気機関車では、動輪の大きさで機関車の最大速度が決まりました。太いボイラーで大量のスチームを作り出しても、メインロッドの往復運動が振動の元になり、動輪を高速回転させると円滑な運転ができませんでした。9600型はその代わり、機関車本体に遊輪が先輪のみで、機関車の重量を無駄なく粘着重量として利用しましたから、低速の列車には便利な形式だったのです。

利尻富士をも右手に見ながら坂を下る9600。9600に限らず、坂を下る時の蒸気機関車はシリンダーにスチームを送らない絶気という状態で惰性で走ります。ただ蒸気機関車には内燃機関車のクラッチにあたる機構がなく、動輪が回ればピストンも動き、そのままではシリンダー内の空気がエンジンブレーキになってしまうため、ピストンへのスチームの流れを調整する弁室の外部に空気弁を設け、シリンダーが空気を圧縮してパワーロスしないように空気を逃がしていました。シリンダーの外被のバルブのあたりにある、菊の紋章に似た部品が空気弁です。

白煙をたなびかせ疾走するC55。蒸気機関車の煙には黒煙、黒煙に白煙混じり、白煙と大まかに3種類があり、白煙は、機関助士が石炭を焚べないで、火室の石炭が赤熱した状態でクルマのアクセルに当る加減弁を開けると、スチーム主体の白煙を吐く事になります。 黒煙は停車中で加減弁を閉じた状態で出ます。停車中に黒煙が連続して立ち上るのはブロワーで強制的に煙を吐き出している状態で発車間際によく見られました。蒸気機関車の煙で最も多い白黒混合は、加減弁を開きパワーを出しながら投炭しているので、煙の形は、モコモコモコとケムリのカタマリが排気音に連動して噴出して来ます。勾配の途中で機関車が空転するとダダダダダと排気音が連打し、煙突からはジェット噴出じみた煙が立ち上がりました。空転で火床に穴が開くと空気を無駄に吸い込んで燃焼不良になりますから、ダダダが収まって、ボッボッボッっと煙が吐き出されるのを見ては、良かった、線路を掴んだと撮影しながらも安心したものです。

C55の旅客列車と列車交換する9600牽引の貨物列車、ポイントの切替を表示する矢羽式の標識灯は普通のタイプより背が高く、ポイントの先端レールも雪が取り除いてあります。降雪時のポイントの除雪は安全確保の基本です。

駅に停車中に、灰を掻き出していますが、なんだかうまく行かないようです。

どれどれ?とキャブから点検に飛び降りる機関士。火室下の灰箱のつまりは、よく発生するトラブルでした。機関車の先には線路を跨いだガントリークレーンが雪よけの屋根に守られて建っています。クレーンを使う荷役もまた、鉄道駅でよく見られる光景でした。

稚内から南に向うC55牽引の旅客列車の車窓から。丘の麓に添って鉄道信号柱が並んでいます。鉄道電話の設置は一般の電話の普及よりはるかに早く、各駅間、施設間を結び、列車の安全運行に寄与していました。これらの信号柱も運転区の電気班が定期的に点検や修繕を行っていました。安全で時刻表通りに運転するには、人知れず黙々と仕事に取り組む裏方さんたちの努力があったのです。

列車から切り離され給水スポートに向うC55。6連の客車列車を給水スポートに合わせて停車させると、乗客は改札まで雪のプラットフォームを歩かなくてはならないので、いったん切り離して単機で給水に向かいます。

駅名看板の隣に発車ベルのボタンと、螺旋の形を通過列車用のタブレット受け。上下線ともに貨物の引き込み線を持ち、タブレット交換が行われた抜海駅も、駅そのものの廃止が決定されようとしています。

日本海から吹き上げる寒風が汽車のケムリを吹きちらしています。

蒸気機関車を走らせていた時代の鉄道では、実はたいへんな事が毎日行われていたのだと、写真を整理していてまた思いました。

 撮影 写真提供  加藤 潤 横浜市