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八ヶ岳高原号・C56

国鉄最高地点を目指して通った山男に人気の高原列車は新宿を夜中に出て、小淵沢駅で切り離された後、ゆっくりと野辺山駅に向かいました。

美しい甲斐駒ヶ岳の連峰を背景に進むC56。1キロ進んで、33メートルの高度を稼ぐ急勾配に観光列車を引いて挑んだC56。普通の旅客列車はキハに切替えられても、新宿発の霧ヶ峰高原号に併結された八ヶ岳高原号だけは蒸気機関車牽引で残っていました。

小淵沢駅の駐機場に休むC56。早朝に小淵沢駅を出発、野辺山駅まで八ヶ岳高原号を引き、客車を留置線に入れて、中込駅の機関区まで単機回送、午後に野辺山駅まで単機で戻り、上り列車となった八ヶ岳高原号を小淵沢駅まで引くという運用を繰り返していました。中込駅まで戻るのは大切な点検整備と給炭を行うためです。

3両の客車を引いて、勾配を登るのはC56にとってはたいへんな仕事でした。蒸気機関車はシリンダーにスチームを送るバルブのスライド量で動輪の回転トルクを調整しました。バルブのスライドを大きく取れば瞬間的に馬力は出せますが、今度はC56のような小型ボイラーではスチームの発生量が足りなくなります。スチーム切れで途中でへこたれないように、C56は踏み締めるように、ゆっくりと坂を登り続けました。駅で目一杯石炭を焚べ、ボイラー圧力を最大に高めてから勾配に挑み、登る途中でも石炭を足し、ボイラーにも注水して走り抜けたのです。小海線は佐久鉄道という私鉄で、線路の規格が脆弱な為にC56が投入されたのですが、線区を任されたC56にとっては、八ヶ岳高原号は3両の短編成であっても、目一杯の看板列車だったことでしょう。無煙化前には軽量のナハ10系客車が投入されましたが、新しいナハを乗客よりも喜んだのはC56そのものだったかもしれません。

美しい高原風景の中をゆっくりと進む軽貨物列車。

夏場は高原野菜を運ぶ野菜臨時列車が運行された小海線も冬場は短編成の軽貨物列車となり、C56は白煙をなびかせて軽快に走りました。

野辺山駅に停車中の貨物列車。貨物ホームには材木がうず高く積まれています。観光の玄関口として新装された野辺山駅ですが、蒸気機関車時代は地域の林業の拠点駅でもありました。

ワフ1両を引いて鉄橋を渡り、冬枯れの高原を進むC56。 

小淵沢駅で静かに朝を待つC56。ブロワーを絞り、最低限の通風を維持しながらボイラーを温め続けます。

駐機するC56の脇には立派な給炭台があります。夜明け前から、C56は石炭殻を落とし、新たに石炭を焚べられて、ブロワーをふかしてボイラー圧力を上げ、新宿からの列車の到着に備えたのでした。

 甲斐駒ヶ岳をはじめとする小海線沿線の山々は、宗教も政治体制も関係なく存在し続けます。太平洋戦争中は90両ものC56が、大日本帝国の野望と共に海を渡り泰緬鉄道で朽ち果てましたが、小海線のC56は雄大な自然の懐で、山男たちを運び続けていたのでした。

 撮影・写真提供 加藤 潤 横浜市