お安く気軽にゆるっと16番

HOや16番の金属工作を最小限の工具と労力でゆるっと楽しんでいます。皆さんも是非やってみて下さい。

汽車を待つ、宗谷本線。

宗谷本線の撮影記録から蒸気鉄道の雰囲気をお楽しみ下さい。

汽車はまだかなぁ~?。構内員も待機していますがプラットフォーム先の単機の9600がいるうちは列車は入りません。旭川から稚内までをほぼ一日がかりで走破する長距離鈍行では、途中の駅で客車の給水や点検も行いました。

到着を待つ最前列の御婦人は待ちくたびれてしまったようです。プラットフォームの向うには有蓋車の列が見えますが、左端のワムは太平洋戦争中に量産された木製有蓋車です。このように新旧入り乱れた貨車によって貨物列車は組成されていました。

乗客を乗せてひた走るC55牽引の旅客列車、広い原野を突き進みます。

駅名看板の前に置かれた小荷物です。ここに荷物車が止まるのでしょう。長距離鈍行の客車編成では前後にマニ、中間にスハニというように、駅の荷扱いの便利性に合わせて編成が組まれていました。乗客持込みの小荷物にはチッキと呼ばれる割引制度もあり、駅の小荷物扱い所には引っ越し荷物までありました。 駅名看板の後ろは油庫で、鉄道開業時に石油ランプの灯油の保管庫として建てられた耐火建築です。駅のポイントの凍結防止対策としてカンテラが使われていましたから、油庫も現役で使用されていました。

C55のキャブには前の窓に旋回窓、サイドの窓には防風目的のバタフライスクリーンが取付けられ、ナンバープレートの後ろにはタブレットキャチャーが装備され、急行利尻など、駅を通過する際に使われました。キャブ後部はドアを追加した寒冷地用密閉キャブ仕様に改造されています。このように蒸気機関車は配属された線区の環境に合わせて様々に改造されて活躍しました。春闘勝利のなぐり書きから、労働組合が元気に組合活動をしていたことがうかがえます。

跨線橋の下で、テンダーの石炭を掻き寄せる機関助士。スコップの握り方に石炭の重さを感じます。旭川機関区で石炭を満載しても、走るうちにテンダー前方から石炭は焚べられますから、途中の停車時間の長い駅では、必ずテンダー前方への掻き寄せ作業が行われました。ツララの下がる季節にも関わらず、機関助士は薄着です。 太平洋戦争後の復興を唯一の国産エネルギーとして支えた石炭産業でしたが、石炭から石油へのエネルギー転換は、北海道の基幹産業のひとつであった炭鉱の閉山にも結びついていったのです。

北海道でよく見られた、跨線橋下の倉庫です。プラットフォーム上の備品を降雪から守るために活用されていました。この駅では小荷物の仮置きに使用したのか、扉前はキレイに除雪されています。

原野を行く9600牽引の貨物列車。ワムとトラを主体にした雑多な編成です。この列車は稚内からの貨物を途中の駅で切り離し、旭川方面への貨車を増結しながら進みます。宗谷本線沿線には、かっては炭鉱専用線や町営軌道などの軽便鉄道もあり、長大な貨物列車が行き来したので駅構内も広大でした。蒸気機関車無煙化で消えた頃には、鉄道貨物輸送も激減し、駅の貨物側線は引き剥がされ、鉄道そのものの衰退も進んでいきました。

かっては日曹炭鉱専用線が分岐していた豊冨駅の駅名看板。

雪に埋もれた駅舎。キチンと屋根の雪が降ろされ、雪と戦う鉄道員の心意気が感じられます。

終着稚内駅、既に急行列車はディーゼル機関車に転換され、DD51が待機しています。プラットフォームの屋根を支える柱に、小荷物運搬の橇が立て掛けられ、長い距離を最北へと走る宗谷本線の終着駅にふさわしい風情です。

長旅を終えた乗客が降車したあと、静かに暖房用のスチームをくゆらすC55流線型改造機。

  撮影・写真提供  加藤 潤 横浜市