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小海線のC56

C56は日本のテンダー型制式蒸気機関車としては最軽量の機関車でした。軽量だから非力でしたが、そんなC56にも素晴らしい仕事がありました。

スノウプラウを装備した冬姿のC56。八ヶ岳連峰は雪化粧をして、冬に向うC56もピリッとした雰囲気です。

蒸気鉄道時代、地方には支線や簡易線、小私鉄が数々あり、乗客はもとより、地方の産品を集め、それらが幹線に集まる事で、全国の鉄道輸送の体制が完結していました。C56とC12は、鉄道輸送体制の末端を担うべく投入された機関車でした。

煙突の後ろから単式コンプレッサーの排気を拭き上げるC56。排気音が山の小駅を活気づけます。

 C56とC12の登場前の支線は、8620に亜幹線から追われた明治の輸入機関車が運用されていましたが、それらの明治の機関車でも、軸重は13トンを超えており、丙線規格の線区にしか入線出来ませんでした。

 一方で明治から大正にかけて全国には、3フィート6インチの鉄道省の規格よりも軌間の狭い軽便鉄道が多く営業されていて、それらの貨物輸送での積替え作業は、輸送上のネックになっていたのでした。 そこで、輸送量に見合った丙線規格よりも簡素化された路線の規格として簡易線が計画されたのです。

 大規模長距離輸送でこそ、鉄道輸送の効率性は最大限に発揮されます。その視点から考えると簡易線は最初から存在価値が無いように思えますが、大規模長距離輸送の拠点に貨物を集荷し、乗客を集める為には、支線や簡易線、小私鉄も大切な役割を担っていたのでした。 やがて自動車輸送の発達は、最初に軽便鉄道、次に弱小の私鉄や専用線を廃止に追い込み、ついには簡易線や支線に及んで、地方までくまなく輸送施設を広げていた鉄道輸送の体制は崩れ去って行きました。

観光資源に恵まれた小海線は、からくも廃線を逃れ、路線の活性化を計っていますが、高原野菜や特産の漬物を運んだ貨物列車は既に無く、木材や炭を産出した地場の産業も、とうの昔についえて、小海線八ヶ岳連峰に頼る観光路線となっています。

C56が小海線から消えた頃、鉄道輸送の黄金期の最後の幕が引かれたのです。

 

 撮影・写真提供 加藤 潤 横浜市