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小海線のC56・その3

美しい風景の中をノンビリと走ったC56。しかし生産された150両のうち、90両は泰緬鉄道を始めとする、太平洋戦争の戦地に送られたのでした。

側線脇に登山口の看板が見える平和な情景。このC56の過半数が戦地に送られ、その地で朽ちたのです。

 泰緬鉄道は映画、戦場に懸ける橋の題材にもなった、悲惨な鉄道工事で、Deathrailwayと呼ばれています。 イギリス、オランダ、オーストラリア、アメリカ人の捕虜が鉄道建設に投入され、1万2千人以上が、虐待と熱帯の伝染病で無くなりました。 マレーシア人、ミャンマー人、タイ人など、現地の方々はロウムシャと呼ばれ10万人以上が亡くなりました。過酷な奴隷労働を強いられ、枕木一本、死者ひとりと言われるほどの馬鹿げた工事が行われました。

単機回送のC56。軽やかに鉄路を踏みます。

 泰緬鉄道では、工事用機械が不足していて、人海戦術で鉄道敷設が行われましたが、川沿いの断崖や、硬い岩盤に阻まれて工事は難航、開通してからも精度の低い線路に災いされ、機関車以下の車両が何度も転落事後を起こしました。 制海権を失うから鉄路で輸送するという大日本帝国陸軍の発想が、泰緬鉄道でも多大な犠牲を生み出しました。泰緬鉄道の必要性のひとつであったインパール作戦は、日本軍を崩壊させ、現地の方々にもたいへんな労苦をもたらしましたが、泰緬鉄道はインパールの破滅に向けて突き進んだ鉄道だったのです。

C56を誘導する構内員。 整備された施設と熟練の鉄道員の連携があってこそ、鉄道輸送は機能します。

 泰緬鉄道は日量3000トンの輸送を計画しましたが、C56は薪焚きに改造してから送られましたから、25‰で100トンの牽引という石炭焚きでの能力を発揮できたのかも疑問です。 結局のところ、泰緬鉄道が完成してからの輸送量は1000トン程度だと言われています。 

C56牽引の小貨物。C56は最初から、小編成を引く機関車として設計、製造された機関車でした。

 たいへんな犠牲の上に建設された泰緬鉄道は、終戦ミャンマー側の線路は廃線に、タイ国内でもミャンマー国境付近の線路は引き剥がされ、タイ↔ミャンマー連絡の機能は失われています。

小編成貨物列車に奮闘するC56。ワムの後に連結された貨車は木材チップ積み専用貨車です。

 泰緬鉄道のC56は、戦後2両が日本に戻り、ひとつは靖国神社遊就館に展示されています。 機関車は2両だけは戻りましたが、失われた人の命は取り返しがつかず、日本が戦争で行った愚行の数々も、歴史の中で取り返しの付かない汚点として残り続けるのです。

   撮影・写真提供  加藤 潤