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吉松駅と蒸気機関車。

機関区は廃止され、駅も無人駅になった吉松。鹿児島本線日豊本線が吉松経由であった頃、吉松駅と機関区の職員数は600人を超えていました。

吉松駅構内の入換と山野線で活躍したC56。キャブ屋根の延長やテンダーへの風除け板の追加など、運用に合わせた様々な改造がされています。山野線もループ線のある雄大な山岳路線でしたが、国鉄民営化後、廃線になりました。

敷き詰められた線路と奥には機関区が遠望され、山に囲まれた田園風景の中の広大な駅である事が分かります。高い照明塔も立ち、かつては不夜城の鉄道基地でした。長いプラットフォームの屋根に対して留置された2両の客車が、鹿児島本線から肥薩線へ、日豊本線から吉都線への幹線筋の変更による輸送量の減少を物語るようです。

画面左奥には貨物上屋と貨物側線、留置された貨車が見えます。画面中央奥には吉松機関区で待機する蒸気機関車の煙が見えます。かつては側線は客車、貨車で埋め尽くされ、機関区には煙が立ち込めていたと思われます。

 

広大な構内で入換に励むC56。C56は1番から90番までが太平洋戦争で南方に送られたので、この91号機が最も若い番号でした。奥には車両整備用の足場があり、詰め所が置かれているところを見ると客車区なのかもしれません。かっての大駅の面影は、詰所付近の碍子が沢山乗った鉄道通信柱からも察せられます。

貨車を引上げるC56。 巨大なコンベアを使用した給炭の設備や、大柄な給水槽からも、盛んに利用された機関区であった事が、垣間見えます。

吉都線の主力、C55。流線型蒸気機関車として新製されたC55が最後の勤めをしています。幹線の花形流線型機関車だったC55が改造されローカル列車を引く姿が吉松駅の衰退と重なるようです。

ポツンと留置されたオハユニ61。ローカル線専用合造車とも言える車両です。

ダブルルーフのスハフ32のデッキ越しに肥薩線のD51が見えます。

鹿児島本線日豊本線が海岸沿いの新線に移った事で、ローカル線になってしまった肥薩線吉都線を受け持つ存在になった吉松駅と吉松機関区。やがて蒸気機関車無煙化で消えると、機関区は更に衰退し、遂には廃止になりました。鉄道輸送最盛期に大駅として賑わった吉松駅も、貨物扱いが無くなり、最終的には駅員無配置の無人駅になっていったのでした。

D51が行き交った頃の肥薩線矢岳駅。きれいに手入れされた植込みが美しい駅でした。

 

 撮影、写真提供  加藤 潤 横浜市