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里の汽車 飯山線のC56

豪雪地帯での冬季の住民の足として、廃線をまぬがれて来た飯山線。道路の除雪体制が充実すれば、その存在価値は潰えるかもしれません。

軽快に里を走るC56。キャブ屋根が延長され、冬場の雪の巻込みに備える改造がされています。

 昭和の時代、大都市を結ぶ急行列車がC53、C59の大型パシフィックや、C60、C61、C62のハドソン3兄弟だとすれば、地方の主要都市間を結んだのが、C51、C54、C55、そして乙線規格最強のパシフィックC57であり、小都市間をつないだのが8620、9600、そしてローカル線の決定板C11とC58でした。8620やC11よりも更に小型なC56とC12は、里を巡って旅客と貨物を輸送する里の機関車だったのです。

投炭して黒煙混じりのブラストを吐くC56。飯山線沿線は白根山に突き当った西風によって多量の降雪がある地域で、国鉄駅の積雪最高記録を持つ森宮野原駅では7メートルを超えた事もあります。

集落をすり抜けるように走るC56。家屋の屋根勾配がきつく、雪深さが感じられます。線路の間際まで家屋が迫っている場合には、線路両側の雪の壁を人力で崩し、貨車に積込んで運び出す雪捨て列車が運行されました。

 飯山線に降る雪は重く、更に多量でしたから、除雪にも多段階の備えが必要でした。先ずはC56の機関車先端にスノウプラウと呼ばれる排土板状の器具を取付け、走行する列車で雪を跳ね飛ばします。除雪された雪は線路の両側に押し付けられ、次第にスノウプラウだけでは排雪が出来なくなります。機関士は、駅に到着すると除雪状況を駅長に伝え、除雪専用のラッセル車の出動を要請します。

 単に除雪列車を臨時に列車ダイヤに組込むと言っても、飯山線は単線ですから、除雪列車をどの駅で対向する列車と行き違いさせるか、つまりは列車ダイヤを新たに組まなくてはならなかったのです。

春の田園地帯を軽やかに進むC56。冬ともなればラッセル車を押して雪に突入する運用もこなしました。

 ラッセル車は、スノウプラウよりは高く広く雪を線路の両側へ押して進みますが、ともすると雪を押しきれなくなり停車してしまいます。そんな時はC56はバックしてラッセル車を引き出し、いったん後方に下がってから勢いを付けて雪への突入を繰り返し、鉄路を確保したのでした。

噴煙をなびかせ、登坂するC56。小型機とは言え、豪雪地帯での住民の足を確保するために、毎年の降雪期にも奮闘した機関車でした。

 ラッセル車の除雪も、地域の積雪が増えるにつれて、雪を押しのけるスペースが無くなって来ますから、線路まわりの雪を捨てる必要が出てきます。 この際に活躍したのが、ラッセルで両側に押しのけた重い雪塊を線路中央に掻き寄せるマックレー車と、マックレー車が集めた雪を羽根車の回転で吹き飛ばすロータリー車でした。 機関車の引くマックレー車、その後に続くロータリー車と、ロータリー車を押す機関車で一組の除雪列車編成でとなり、鉄道現場ではキマロキと言う豪雪地帯専用の除雪列車を運行していました。ロータリー車蒸気機関で羽根車を回す整備重量が100トン近い巨大な車両でした。昭和初期に製造された強力なロータリー車、キ620形式は、C58のボイラーにC12のシリンダーを組合せた車両で、水と石炭の搭載にはC58のテンダーが使われていました。マックレー車ロータリー車は、その機能から同時使用が多かった為に組合せで配置されていました。新潟県の長岡操車場には、この組み合わせが3組配置されていて、日本一のキマロキの基地だったのです。

 雪を掻き寄せるだけのマックレー車はまだしも、氷雪を砕いて飛ばすロータリー車の速度は人間の歩行速度ほどで、1日あたり3列車程度を運休して運行しました。飯山から森宮野原駅までで1日、翌日は十日町駅と、ロータリー車蒸気機関と、ロータリー車を推進する8620形蒸気機関車の噴煙を立ち上らせつつ、歩く速度で進みました。ロータリー車には機関士、機関助士の他に保線区員、電力区員も乗り込み、羽根車から吐き出される氷雪の方向をコントロールして、人家はもとより、通信電柱などを破壊しないように細心の注意を払ったのです。

千曲川沿いの斜面に沿って進むC56。斜面の積雪が増え、キマロキでも除雪しきれなくなった場合は、トラなどの無蓋車に除雪要員を乗せ、斜面の雪を人力で無蓋車に積み込んで、鉄橋まで運んで川に捨てる、雪捨て列車の出番になるのでした。

 また、駅の構内に降り積もった雪や、駅舎やプラットフォーム上屋に積もった雪も捨て場がないので、貨車に積込んで捨て場まで運ばれましたが、駅の除雪作業には、駅付近の鉄道官舎に住んでいる鉄道員の奥様も参加されていたのでした。

棚田の間を切り通しで抜けていくC56の引く貨物列車。 

 線路周辺の地形や環境は様々に変化するので、ラッセル車を通すにも、マックレー車で雪の壁を切り崩すにも、6人程の作業員が乗り込み、地形に合わせて左右に展開するウイングを操作し、装置にこびりついた雪を掻き落としながら進んで行きました。 確かにラッセル車マックレー車ロータリー車を駆使した除雪作業は機械力を駆使した優れた仕組みでしたが、駅のポイントや信号機、信号標識などの除雪、建物の雪下ろしなど、雪の少ない地域からの鉄道員の応援も加わって、総力を結集した除雪作業体制が敷かれていたのです。

 

越後へと急ぐC56牽引の貨物列車。

 蒸気機関車が全廃になり、蒸気機関車用の施設を利用していたロータリー車もほぼ時を同じくして姿を消しました。

 蒸気機関を搭載したロータリー車、対で働いたマックレー車も今は保存車両が小樽市総合博物館と名寄市北国博物館などに残るのみです。ただし近代化された除雪機器で、はたして鉄道が雪に対して強くなったのかは、はなはだ疑問です。

 

 撮影・写真提供  加藤 潤 横浜市