お安く気軽にゆるっと16番

HOや16番の金属工作を最小限の工具と労力でゆるっと楽しんでいます。皆さんも是非やってみて下さい。

下北半島の夏、野辺地機関支区のC11

 

東北本線の野辺地を起点に下北半島を縦走した大湊線では、1日に1往復の貨物列車の運用にC11が使われていました。

 

陸奥湾を左に見ながら下北半島を北上するC11。従う貨物列車の中には冷蔵車も見えます。大間のマグロを運んだのでしょうか?平坦線の夏場ですから、煙もうっすらとたなびき、C11は軽快にレールを踏んで行きます。

大湊駅で最大の施設であったラウンドハウスとターンテーブルは敷地の最も奥に配置されていました。大湊線にもキハが投入され蒸気機関車が旅客輸送を外れてからは所属する機関車も減り、日々の営業では使用していないように見受けられます。ラウンドハウスの向いの線路は使わる事もないので夏草に埋もれ、冬場の出動に向けて佇むラッセル車だけが、静かに給炭台に居るC11を眺めています。蒸気機関車全盛期にはラウンドハウスも賑わって、煙を上げていたのでしょうが、すでに機関車の排煙用の煙突も撤去されています。

冬場の出動に向けて待機するラッセル車です。旋回窓と、除雪用の左右のウイングを動かすエアータンクが勇ましく、下北半島の冬の厳しさを教えてくれます。ターンテーブルの端には人力でターンテーブルを回すための警戒色に塗られたゴツいレバーも付いていますが、これは緊急用で、通常は電動で回転します。やがて駅員が信号テコ扱い所でガシャリと腕木信号を操作すれば、汽笛一声、列車は発車するのです。

 

1台のC11には不釣合なサイズの給炭台と広い構内。下北半島の冬の降雪に対応するためか、ゆったりと線路が敷かれています。給炭台には頑丈な屋根がかけられ、これも雪国仕様の施設です。給炭台の手前には撒き砂を乾燥させる砂焼き室、その更に前には、機関車の排出する石炭灰を集めておく囲いがあり、石炭灰は路盤の補修などに活用されていました。

 

 

野辺地支所のターンテーブルまわりの線路を整備する保線区の係員。奥には野辺地駅跨線橋が見えます。

大湊機関区野辺地支所は、大湊機関区に比べて遥かに整然としており、東北本線の駅構内らしい施設です。ターンテーブルは、東北本線電化前には東北本線の補機に使用されたD51も転向していました。奥には切妻の機関庫が見え、太い煙突が立ち、蒸気機関車の建材を伝えます。

大湊駅で給炭中のC11。手積みの給炭台は石炭の積込みに時間がかかるので、灰落しのピットを併設している施設が多く見られました。職員通路の踏切に古枕木が使われているのも、廃物の転用の工夫と、鉄路の歴史を感じさせます。

 

キレイに清掃されたアッシュピットです。盛んに蒸気機関車が出入りしていた時には灰だらけだったのでしょう。画面中央にピット脇から給炭台下へ続く溝が見えますが、この溝にトラから石炭を落し、コンベアとバケットで荷揚げしていたのかもしれません。余程の大機関区以外、ホッパー式の給炭槽やガントリークレーンの設備はありませんでした。

海辺の路線を走る蒸気機関車としては錆もなくキレイに保たれたC11です。バック運転が無かったので標識灯はひとつ。架線の下を走ることも少なかったのか、複灯の装備もありません。補機配置のD51が消え、無煙化により直ぐに消える運命にあるC11を、野辺地機関支区に残された整備員は最期の時まで面倒をみていたのです。

C11が消えて10年後、大湊線の貨物扱いも無くなりました。写真の大湊駅のラウンドハウスとターンテーブルも撤去され、続いて野辺地駅ターンテーブルも無くなりました。更には野辺地駅の貨物扱いも廃止になり、今の野辺地駅周辺からは、鉄道基地としての野辺地機関支所の面影は全て無くなりました。残されたのは機関支区の盛衰を見守った、鉄道記念物の防雪林だけです。

ターンテーブルのロック装置。テーブルの端に操作レバーがあり、レールの間に差し込んで固定します。

 

 撮影・写真提供  加藤 潤 横浜市