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旅情・山陰本線

海岸沿いの斜面に沿い、切通しで丘を、谷を築堤で越え、岬に続く山はトンネルで抜け、川は鉄橋で渡る、次々に移り行く車窓の景色が、心に染みていく汽車の旅。

山あいの勾配区間のS字カーブで身をくねらせるD51牽引の旅客列車。切通しで窓に迫った緑から、展望の開ける築堤へと列車は進みます。景色の連続する変化が、見る者の胸に、移動する距離感を刻む汽車の旅です。

駅にモクモクと迫る山からの緑も、きれいに処理された汽車旅の駅。停車した車窓から眺める駅名標が、ここまで来たのか、と到達感を乗客に伝えます。レールのジョイントをタタンタタンと刻む音と共に、着実に旅程は進み、目的地は近づくのでした。

窓の景色の中で、乗客の目をもっとも楽しませる景色が海でしょう。白波が岩場に砕ける景色を眺め、長旅の疲れを癒すことが出来る山陰本線です。

地域の駅弁は確かに汽車旅の楽しみのひとつですが、汽車の待ち時間にプラットフォームのスタンドで啜るお蕎麦も良いものでした。米子駅のスタンドは大駅らしく、なかなかのお品書きです。

汽車で旅をするのは乗客だけではありません。有蓋車の鉄扉に差し込まれた送り状には、はるかかなた三陸八戸線鮫駅の表記があります。D51は行き先の異なるこうした積荷を、福知山へと運んでいたのでした。

蒸気機関車が活躍した末期には、2軸の貨車であっても軸受が改良され、75キロまでの速度で走らせられました。 単線で列車密度の高い山陰本線のような路線では、駅毎に対向列車との交換や、旅客列車の待避など、複雑な列車ダイヤが組まれていましたから、貨物用の機関車とはいえ、最高速度85キロを出せるD51にはピッタリの路線でした。

 

無煙化に先駆けて投入されたキハ58系の急行さんべの発車間際です。鳥取から九州熊本までを走る長距離急行で、山陰本線長門市で分割され、山陰本線美祢線経由で下関に向い、下関で再び併合されて熊本へ向う、たいへん意欲的な列車でした。グリーン車キロ28に乗り込む乗客が見送りの方と挨拶をしています。手前の台車に山と積まれた荷物は郵便袋で、長距離急行列車の編成に組み込まれた郵便車の中で仕分けされながら目的地に運ばれました。

プラットフォームに停車中のマニの屋根越しに、大規模な照明灯が立ち、機関区に設置された給炭槽とジブクレーンも物々しい米子駅です。蒸気機関車の機関区があり、夜行列車が行き来する汽車の駅は不夜城で、夜汽車の窓から照明灯に照らされた駅構内が見られ、薄く煙を上げる蒸気機関車の姿もありました。

汽車の行き来する山陰本線を優しく見下していた大山。大山さんと親しまれるこの山は、地域社会の変化も見続けているのでしょう。

山陰本線蒸気機関車時代のラストランナーとなったC57型のたくましい足回り。 無煙化で便利に快適になったはずの汽車の旅ですが、全てにスピードアップが求められる社会が、人間に幸せをもたらしたのかは、今一度、考える必要がありそうです。

 撮影・写真提供  加藤 潤 横浜市