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山陰本線、西の要衝・浜田機関区

 

総延長673キロメートルに及ぶ山陰本線には、名門梅小路機関区を筆頭に、福知山機関区、米子機関区など数々の機関区が運行を担っていました。浜田機関区は長門機関区と共に、山陰本線の下関口の蒸気機関車を保守していたのです。

朝の日本海を左に見て突き進むD51とC57。蒸気機関車の快走に機関区での保守は欠かせませんでした。

レンガ造りの古風な機関庫の前でブロワーを吹かし圧力を上げるD51。機関庫脇に並ぶ各作業班の詰所と、背後の巨大な照明灯が、この機関区の重要性を物語ります。 石炭灰と煤で砂利が見えなくなった構内に設けられた歩行通路も機関区の活気を伝えています。

出発まで、しばし休息中のC57とD51。山陰本線全通時の8620からC51、C54と数々の蒸気機関車を保守して来た浜田機関区、蒸気機関車時代のラストランナーはC57とD51でした。ドーム後の重油タンクと集煙装置は浜田機関区の標準装備です。

D51の第1次量産型、通称ナメクジを見守る構内員。電柱に乗せられたトランスの数も大機関区らしい設備です。電柱下の建物は撒き砂の乾燥室で、D51のキャブの後ろに見える空中に釣られたパイプを通り、給砂塔に運ばれる本格的な施設でした。 D51の第1次量産型は、製造直後こそ現場からの空転の苦情で設計変更を迫られましたが、D51の運転技術が配属された機関区の乗務員に習得されてからは、勾配線区でも活躍しました。このD51の1号機も浜田機関区へ転属する前は、東北本線の難所、奥中山で補機に使われていた機関車でした。

給炭台脇にD51が2両停車して、石炭の積み込みが完了したところです。浜田機関区ではバケット式のクレーンを使用して給炭を行っていました。先頭のD51のテンダーは給水塔の前にピタリと停められています。

三江北線と構内入換に使用されたC56の背後に給炭用のクレーンが見えます。トラには石炭が積まれ、まさに蒸気機関車のエネルギーの補給基地の風情です。 駅構内の入換には短く運転時の死角が少ないタンク機が向くように思われますが、入換時に連結した車両には列車扱いの通しブレーキが使えないため、テンダー車輪にもブレーキの効くテンダー機関車も盛んに入換に使用されました。 駅での車扱い貨物が激減した現在では、駅構内を忙しく行き来した入換機関車の活躍も、昔話になっています。

転車台まわりの線路に留置されたC57。キャブの上に覗いているのが給砂塔で、空中を給砂塔に砂を送るパイプが走り、給砂塔自体は両側2線に砂を落とす立派な設備です。撒砂は動輪の数が少ない蒸気機関車にとっては、空転を防ぐための最大の手段で、駅で機関車が列車を引き出す箇所や、急な勾配区間の線路は、撒砂で白くなっていました。転車台まわりは地面がコンクリート舗装されて、これも鉄道施設としては、たいへん立派です。

機関区に駐機する蒸気機関車の脇の待避線から発車するD51牽引の貨物列車。D51は発進時にシリンダーに溜まった凝結水をドレインコックを開けて排出中でモウモウと両側にスチームを吐いています。 写真中央に給砂塔が立ち、並んだ機関車群と共に巨大な鉄道基地の雰囲気を醸し出しています。

巨大な煉瓦造りの3線機関庫が基地としての歴史と規模を物語ります。機関庫から突き出した煙突の下には蒸気機関車の排煙を集めるフードが下がっていました。詰所の雨樋は防火用水に集められ、小さな工夫も見て取れます。

長いトラの車列の脇を進むC57。 給炭台の先には転車台、空中には撒砂を送るパイプが横切ります。 蒸気機関車の機関区は機関車を収納する機関庫だけではなく、蒸気機関車を完全に機能させるための設備の集積であり基地でした。

整備を完了して構内を移動するD51。石炭灰とシンダーの排出、給水、給炭、各箇所の点検、最後に撒砂を補充して、蒸気機関車はいよいよ出庫していきます。機関区は汗と煤にまみれた、誇り高い職場だったのです。

 撮影・写真提供  加藤 潤 横浜市