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奥羽本線陣場駅の冬、その2

南岸低気圧による豪雪で乱れたダイヤを回復すべく奮闘する蒸気機関車鉄道員、雪くらいじゃ列車は止めないと言う気合と誇りが満ちていました。

猛然とラッセル軌道モーターカーを押し上げるD51。奥羽本線を電化で追われる幾ばくもない命を燃焼させて峠に挑みます。当時、北海道連絡の大動脈であった東北本線奥羽本線に配置されたD51には、車両限界いっぱいの大型の重油タンクが装備され、D51としては最大の出力を発揮していました。蒸気機関車は力行を続けるとボイラーの圧力が下がり馬力が落ちます、同時に連続するドラフトによって石炭が急速に燃焼するために火床に焚べた石炭も減り、空転した際に火床に穴が開いてボイラーの燃焼状態が悪化してしまいます。そこで機関助士は必死に投炭するのですが、投炭する度に焚口から空気を吸ってしまい燃焼が弱くなってしまいます。その欠点を補うため、重油併燃機は峠に入る前に投炭して火床を厚くしておき、勾配区間では重油を噴射する事で最大の火力を発揮したのでした。その効果は20%近い出力アップに結びついたと言われ、輸送量と列車速度の両立を迫られていた奥中山や矢立峠での活躍に結びついたのです。画像で押し上げている軌道モーターカーのラッセルは自走する車両ですが、南岸低気圧の重い雪を除雪するには力不足のためD51に推進させているのでしょう。状況に応じた運用を指示する運転指令と現場の機関区の協力があってこそ、こうした除雪の臨時のスジが実現していたのです。

陣馬に待機する峠の助っ人D51。先台車の点検をするのか給油中なのか、フロントの点検蓋が開いています。標識灯がふたつ付けられ、バック運転の単機回送や逆向き後部補機に備えています。後ろには給炭台が見え、薄く黒煙が上がっているところを見ると、火床いっぱいに石炭を焚べてもらったのだろうと推測されます。陣馬には画像の屋根付きの大きな給炭台がありましたが、給炭台からテンダーへの石炭の積み込みや、トラから給炭台へどうやって石炭を移していたのか、蒸気鉄道の運営についての興味は尽きません。

給炭台を後にする構内誘導員。旗を小脇に歩く姿にひと仕事を終えた充足感が感じられます。機関車と比較すると給炭台の大きさが、挑む峠の険しさを物語り、D51の前には構内の照明灯が見え、夜中も走り続ける幹線の厳しさが伝わります。誘導員が歩く構内の通路も雪が踏み固められて、輸送を担う鉄道員の気持ちの強さを表すかのようです。

屋根付きの給炭台に横付けされたD51。灰落しを始めたのか機関車の後部がもやっています。D51の脇にはポイントの矢羽付標識がなんとか除雪され顔を出しています。鉄道が雪と戦うとは、こうした鉄道施設の全ての機能を除雪して作動させてこそ走らせられるのですから、現場は降雪状況に合わせて、決断と行動を繰り返していたのです。

陣場駅で停車中に機関車を点検する機関士。通い慣れた峠であっても、機関車の不調があれば重大な遅延につながりますから、こうして停車する度に機関士みずから作動部分の点検と注油を繰り返します。煙突からは黒煙が上がりキャブのが中では機関助士の投炭と火床整理に取り組んでいるのでしょう。出発までにボイラーの圧力はいっぱいに上がり、やがてD51は野太い汽笛一声、強烈な排気音と噴き上げたスチームを残して加速し、雪の峠に挑むのです。

後押しを終え、陣場駅へとバック運転で駆け戻るD51。D51等の火室を従輪の上に置いた構造の機関車は、C56や8620等の従輪無しの機関車に比べ、バック運転は意外にも得意です。電気機関車で言えば、EF58のように大動輪を導く先台車の役割を従輪がこなしている構造です。もっとも冬の峠ともなれば、キャブ内に吹き込む寒風や雪で乗務員はたいへんな思いをしていたのでしょうが、駆け下るD51をこうして見ていると、寒さも何のその、早く戻って回復運転をせにゃならん、といった鉄道員の気持ちに合わせてD51も頑張っているように見えてしまいます。苦しいときには黒煙を吹き上げ、ドレンを線路に叩きつけ、坂を下る時は涼しげに、感情剥き出しのように感じさせる蒸気機関車ならではのひとコマです。