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五能線の8620・その2

大正時代の名機と呼ばれた8620には、たいへん優れた特徴がありました。

日本海に沿った鉄路を軽快に走る8620。傑作蒸気機関車だからこそ、五能線という長い路線で無煙化まで生き延びられました。

 国産初の量産型過熱式蒸気機関車として9600と共に量産された8620。過熱式の採用により、明治時代に輸入された蒸気機関車とは一線を画す高性能で、C51が普及するまで全国の幹線から亜幹線まで、輸送力アップとスピードアップに貢献しました。

磨かれた汽笛と安全弁。8620の汽笛は遠くから聞こえればポーっと穏やかに、近くに聞けばピョーっと華やかに、いかにも汽車らしい音色でした。 安全な運行を計るため、大正生まれの8620にもATS発電機が装備されています。

 過熱式蒸気機関とは、ボイラーから発生したスチームを直接シリンダーに送るのではなく、いったん煙室に導いてから細いパイプで大煙管と呼ばれる炎の通り道を通してからシリンダーに送る、いわばスチームに焼きを入れてから動力に変える蒸気機関の仕組です。  過熱パイプの中でスチームはより高温に熱せられ、シリンダーに入ってからの凝結水が少ないためハイパワーで、過熱装置を持たない蒸気機関に比較して石炭の消費量も節約出来ました。

黒煙をなびかせ、南に向う8620。ボイラー圧力がD51などより低い為、排気音はボッボッボッっと、これも汽車らしいサウンドでした。

 8620の好評価を決定的にした最大の要因は、先輪と第1動輪を結び、横方向の動きに追従させる島式先台車という特殊装置にありました。この装置は特に急曲線の通過に優れ、レールに加わる負荷が少なかったため、8620は最大の軸重が14トンを超えたにも関わらず、丙線と呼ばれた支線にも進出し、明治以来使用され続け輸入の蒸気機関車に頼っていた線区にも、画期的な輸送力改善をもたらしたのです。

緩やかな勾配を力走する8620。

 好評を博した8620は700両近い量産がなされ、昭和に入ってからはC50という後継機関車が登場しました。C50は構造の複雑な島式先台車を採用しなかった為、レールへの負担が大きく、第3動輪のフランジの摩耗も早かった事から、営業線区は限られ、8620ほどの活躍は見られませんでした。   一方で、8620をタンク機関車にしたような形態のC11は、優れた性能の2軸従台車を採用したこともあり、これも傑作機として、太平洋戦争中まで生産されました。

 客車を従え、軽やかに進む8620。

 1軸の先輪と、第2第3動輪間に火室を持つ8620が採用した様式は、日本の支線の線路状態と輸送量にマッチして、長く愛用し続けられました。デビュー時の東海道本線から五能線まで、軽快に走り抜けた8620は、日本の鉄路を代表する蒸気機関車のひとつと言えます。

穏やかな日本海を見ながら進む8620。

 撮影・写真提供 加藤 潤 横浜市