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石巻線と小牛田駅

石巻線東北本線側起点であった小牛田駅は、陸羽東線も分岐する大きな規模の駅でした。津波被害で線路が流失し、今はBRT運行になり、バスが走る気仙沼線石巻線前谷地駅から分岐していましたから、旅客列車は気仙沼行も発着していました。

引上げ線の脇を石巻へと向かうC11牽引の貨物列車。前谷地までは気仙沼方面行きの貨車も加わって長編成です。 

 小牛田駅には、陸羽東線石巻線を担当する小牛田機関区の転車台と、東北本線の機関車を転向させる転車台があり、多くの待避線と側線を持つ大きな駅でした。 東北本線からの乗り換え客だけでなく、陸羽東線からは山形県からの貨物が、石巻線からは三陸海岸地域からの貨物が小牛田駅に集められ、行き先ごとに仕分けされ発着してました。石巻線の貨物列車を牽引していたC11は、小牛田駅構内を走り回って、こうした貨物列車の組成もしていたのでした。

 

 

構内係の振る旗に誘導されて、入換作業に励むC11。東北本線から小牛田駅経由で、山形へ、気仙沼石巻への貨物も多く、集荷される貨物と、地域へ送る貨物の仕分けで、入換作業は休む間もなく続いていました。

小牛田駅を出発するC58のテンダーには、山形県への峠越えに備えて、キャブの屋根の高さにまで石炭が盛られています。東北本線が電化される前は、長町機関区のD62牽引の貨物列車の後部補機として東北本線を遠く一関まで走しり、陸羽東線経由で山形県への貨物輸送を担ったC58型も、小牛田駅を代表する機関車のひとつです。

石巻へと向かうC11が、渡波駅で牽引してきた列車を離れ、入換を始めるところです。渡波駅仙台湾に面する石巻工業地帯の東に位置していますから、貨物の発着も多かったのでした。 このC11は蒲鉾型の特徴あるドームを乗せた戦時型と呼ばれるタイプで、用途が広いC11型は、太平洋戦争の最中にも生産されました。

万石浦の直ぐ側を通り女川に向かうC11。海面には海苔の養殖網を固定する竹が見えます。伏流水で広い湾にも関わらず、水質のきれいな万石浦は、多くの魚種の産卵場になっており、アマモ場の維持などにも地域の方々が関わって努力を続けておられます。

女川港へ漁船の燃料を運んだタンク車を加えた編成を引いて石巻に向かうC11。サンマ船で賑わった女川も、今は原発事故以来、特産のホヤの韓国向け輸出も無くなって、水産の苦戦が続いています。日本の食料の自給に対して、牡鹿半島の漁業をどうするのか?長期的な計画が必要です。

万石浦から石巻へと、トンネルを突き抜けて進むC11。女川には転車台があるため、C11は逆向き運転はしませんでした。石巻線が開業した昭和初期には、大日本帝国海軍にとってドン深の女川港は石巻港より重要で、横須賀鎮守府直轄の女川海岸防備隊が置かれ、海防艦や掃海艇が配置されていました。女川駅こそが陸路の終点として重要視され、転車台も設備されたのだと思います。

小牛田駅構内での入換作業で忙しく走り回るC11。 今では小牛田駅への山形県気仙沼方面からの貨物は途絶え、石巻港への貨物列車が通うだけになりました。入換機関車の活躍が終わり、貨物輸送を通じての地域への鉄道の関わりも消えたのでした。

 

 撮影・写真提供  加藤 潤 横浜市