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横浜線を走った汽車 C58

東神奈川での高島貨物線との連絡が途絶えてからも、八王子から小机駅まで、C58が貨物列車を引いて来ていました。

旅客用のプラットフォームに到着しました。

 プラットフォームの左側には貨物扱いの建物と積込用のプラットフォーム、貨物用の側線もあり、やって来たC58は貨車を入れ換えすると、逆向きのまま、八王子へと帰って行くのでした。

トラの妻板越しに、バック運転用のライトが2つ、テンダーに取付けられているのが見えます。 2つ目のライトは補助灯と呼ばれ、メインのヘッドライトが切れた場合の為のバックアップです。 これはライトが切れた際に、高所で作業して感電しない為の安全対策でした。交流電化は2万ボルトの高圧ですから、架線に触れなくても、空気中を絶縁破壊しての感電事故が起きたのです。

八王子機関区に待機するC58・6号機。横浜線で活躍した機関車でした。煙室扉には団結のなぐり書きを消した跡が見られます。枕木はコンクリート製で中央部が凹んでおり、この場所で灰落し作業が出来るようになっています。

ボイラーにもなぐり書きの跡が残るC58。労働組合が主張を書いた掲示物は、見かけなくなりました。労働組合運動が下火になった理由が、労働者が豊かになったからだと良いのですが?。

到着したC58の左に貨物側線、右にはモハ72系の東神奈川方面行きの電車が見えます。 モハ72系は、桜木町事故で100名以上の焼死者を出したモハ63系の装備更新車です。

 桜木町事故は、工事のミスで垂れ下がった架線によって、電車の車体にスパークが飛び、戦時輸送の為に大量生産されたモハ63が木製屋根に可燃性塗料で塗装、内装も燃えやすいベニヤ板張りであった為に発火し瞬く間に燃え広がりました。窓から脱出しようにも、窓は中央部固定の3段窓で人が這い出る隙間が無く、車両間のドアは内開きで、殺到する乗客に押され開く事も出来ず、乗降用のドアの非常用コックも乗客には見つけられない箇所にあったという、106名の乗客が10分の間に焼け死ぬという悲惨な事故でした。 欲しがりません、勝つまではを合言葉に、お国への奉公を強いられた日本国民は、たちまち焼け落ちるような電車に乗せられ銃後の生産へと通勤していたのでした。

 茶色のクッションはキャブの窓に取り付けられた肘掛けです。石炭を焚べたり、ボイラーの維持に何かと忙しい機関助士ですが、窓から安全確認をして機関士を補助するのも大切な仕事でした。

 C58型は、最大の軸重が8620よりも軽く、ローカル線に最適の機関車でしが、軍によってマレー方面へ、終戦の前年に送られました。 積込まれた貨物船が出港する頃、日本には制空権も制海権も無く、ほとんどのC58は多くの人命と共に無駄に海に沈められたのです。

小机駅駅の周辺は、雑木林と野原の点在する農村地帯でした。

 戦後、タイで見つかった、たった2両のC58は、現地の線路規格に対して重たすぎて、本線上に出ることも無く、もっぱら駅の入換をしていたそうです。 

 

 撮影・写真提供  加藤 潤 横浜市