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陸前から羽後の国へ、陸羽東線のC58

宮城県県北部の東北本線の要衝小牛田から、山形県北部の奥羽本線の一大拠点新庄駅までをつなぐ陸羽東線は、太平洋の石巻港女川港と、日本海の酒田港を結ぶ、奥羽山脈を横断する重要路線でした。その開業は仙台と山形を直接結ぶ仙山線よりも20年も古く、明治後半から計画され、大正中期に完成という難工事でした。

中山平重連で進むC58。C58型は軸重14トン以下の丙線用機関車の決定版となった、牽引力と速度のバランスの取れた傑作蒸気機関車でした。美しい山間を走り抜けていますが、奥羽山脈分水嶺は、日本有数の温泉湧出地帯で、特にトンネル工事は、湯水の湧出に苦しめられた難工事の連続でした。

陸羽東線蒸気機関車時代を締めくくったラストランナーC58。

蒸気機関車の活躍した時代までは、並走する国道にトラックの姿は少なく、蒸気鉄道こそが、太平洋沿岸と日本海沿岸をつなぐ輸送の動脈でした。今の国道には確かにトラックが走ってはいるものの、鉄道貨物の減少具合と地場産業の衰退が比例しているようで気になります。

稲の棒がけは、竹の少ない地域の秋にはお馴染みの光景でした。山の麓から始まる勾配区間まで、C58は仙台平野をひた走ります。陸羽東線は、奥羽本線の福島から新庄間に路線トラブルがあった場合の迂回路線でもあり、上野と青森をつなぐ急行津軽が、C58重連に引かれて峠を越えた事もありました。夜行の長距離急行が、首都圏と山形県秋田県青森県を結び、山形県秋田県の旅客を北海道へと運んでいたのでした。

川沿いを走って高度を稼ぐ蒸気鉄道にはつきものの鉄橋も、山が深く積雪も多い地域の河川では川幅も広くなり、いくつものデッキガーダーを連ねた大鉄橋となります。 山裾の杉の緑と、中腹から山頂への紅葉が力走するC58を見下ろします。今年は夏が暑すぎたので紅葉がおかしい、赤がきれいに出ないと、山あいの温泉旅館の女将さんが嘆いていましたが、C58が通った紅葉の名所の美しさも、温暖化で失われて行くのでしょうか?

夕景の刈田を行くC58の次位にはシッカリと車掌車が連結されて、陸羽東線が途中駅でも貨車の解結を繰り返す、車扱い貨物の豊富な路線であった事が解ります。 多くの駅に立派な貨物側線と農業倉庫があり、長大な貨物列車を列車交換するために、待避線も旅客ホームの数倍の長さでした。C58が重連で引く程の貨物量を誇った陸羽東線も、今は貨物扱いの駅はなく、2両連結のキハが僅かな通学生や温泉客を運ぶだけとなり、赤字路線として話題に上る機会だけが増えています。

堺田駅はその名の通り、県境の駅でした。

堺田駅までは小牛田発の通勤通学列車が蒸気機関車牽引で残っていました。日がとっぷり暮れてから、下りの通勤、通学列車が到着すると、C58は転車台で向きを変え、朝の上り列車まで駐泊所で待機するのでした。ここ一番の大量の旅客輸送には、蒸気機関車牽引の客車が活躍したのです。

C58が列車を引いて陸前と羽後を行き来した鉄道輸送の実績は、すっかり昔話になりました。ただ、温暖化を止めるためには、今すぐ1970年代のレベルまで二酸化炭素排出量を減らさなければならないと言われている現在、C58が活躍した陸羽東線の鉄道輸送の姿が、本来の地方の在り方や、日本国内の輸送のあり方を示唆しているように思えてなりません。

 撮影・写真提供  加藤 潤 横浜市