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区間貨物列車・C50

全国くまなく活躍した大正時代の傑作蒸気機関車8620型の後継機として製造されたC50型が、足尾線で桐生↔大間々駅間の区間貨物列車を引いていました。

C50は、C51、52、53、54が生産されてから登場し、C55の登場で一気に刷新された国産の制式蒸気機関車の過渡期の機関車です。 設計が新しい分、8620型より優れた機関車になるはずが、以外にも先輩格の8620に比べ用途が狭く地味な存在に終始した機関車でした。

小山駅で入換をするC50型。ローカル線で主役を勤めた8620に対して、C50は両毛線などの限られた線区でしか営業列車を引かず、多くが構内の入換に使われました。先輩格の8620が持つ、先輪と第1動輪をリンクして横動させる島式先台車を、整備の手数を減らすために採用しなかった事と、給水装置をポンプ式にしたことで、軸重が15トン弱にまで増加してしまい、ほとんどのローカル線の線路企画であった、丙線に入線出来なかった事が、使用の範囲を狭めました。

C50は新製された当初は、大都市近郊をつなぐ区間列車に使用されましたが、都市近郊は電化が進み、また、動輪の固定軸距離が長い為に脱線が発生しやすく、乙線区での活躍も限定されたものになりました。C50の設計時は、路線の軌道強化が要望されていた時期なので、軌道強化計画が実施されていれば、C50も違う活躍が出来たのでしょう。レールを新しく交換するにも、鉄は軍需生産に回されて、鉄路の充実は後回しにされた時代だったのです。

小山駅から両毛線区間貨物列車を牽引して出発していくC50。 8620型よりもボイラーの圧力が高く、テンダー内部に給水温め器の装置を持つC50が、持てる能力を発揮出来なかったのは、鉄道は兵器!と声高に叫んでいた大日本帝国の軍部が、精神論に終始して、機関車の出力強化と軌道の負担という算数レベルの仕組みさえ理解せず、鉄を独占していた歪みのひとつの現れです。

黙々と入換作業を続けるC50。登場直後から冷遇されたC50型機関車にもしも心があれば、レールを作る鉄もないのに戦争なんかするなよ〜と叫んだでしょうか? いっこうに軌道強化が進まないまま8620型の後継機は、丙線用蒸気機関車の決定版とも言えるC58型の開発に引き継がれたのでした。

ワフ1両だけを従えて、桐生へと向かうC50。

 撮影・写真提供 加藤 潤 横浜市