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C58と駅・陸羽東線

 

8620型の支線向きの性能を発展継承したC58型でしたが、意外にもC58型だけの運用線区は少なく、多くの地域で9600型やD51型と混用されていました。山が多い日本で、勾配線区の重貨物ともなれば、支線向けの万能型と言えるC58型には荷が重い路線が多かった、逆に言えば、それだけ地域間の貨物輸送が盛んだったのが、蒸気機関車時代なのです。そんな中で、C58型だけで運用していた陸羽東線はC58型を語る時に欠かせない線区です。

駅構内で加速に入るC58重連陸羽東線重連運用で峠越えをしたことで、分水嶺堺田駅に機関車駐泊所があり、機関車の運用が複雑になっていました。C58型の細いボイラーがよく分かるショットです。

今は駅員無配置の無人駅だらけの陸羽東線もC58時代は貨物扱い、手荷物扱いがあり、列車交換の合間には、機関士と駅長が運行情報を直接会話して確認していました。信号は電気式に設備更新されていましたが、駅のポイントは列車の運行に合わせて、駅員が大きな梃子でガシャリと切換えていました。なんでも自動、とにかく省力化の現在とは全く異なる、人がシステムを動かした蒸気鉄道です。

大きな待合室のある島式ホームの脇には、更に待避線があり、左側の駅舎のあるプラットフォームの端には、入換中のワムが置かれています。 駅の側線の配置に依っては、下り列車の解放した貨車を、下り列車の機関車が側線に留置できない場合もありました。そんな時は、上り列車の機関車が入換をしたり、構内専用の入換用の小型機関車で入換作業をすることもありました。プラットフォームの植木もキレイに整えられた汽車の駅です。

江合川の鉄橋を絶気運転で渡る上り貨物列車。牽引機はドームの後ろ側がなだらかに落ちておらず、おそらくは重油タンクを装備していた線区から転属してきた機関車でしょう。重油タンクは勾配のトンネル区間では有効な装備でしたが、陸羽東線のC58には未装備でした。他線区から転属した機関車は郷に入っては郷に従え式に、装備をつけ外しして運用されていたのでした。

長編成貨物列車を引いて、駅構内で噴煙を上げるC58。 奥羽本線の長距離急行列車の迂回路となっていた陸羽東線は、貨物列車が長編成だったこともあり、駅の構内は広大でした。駅舎付近に設けられたポイント操作梃子は、人力で長いロッドを動かし、ポイントの切換を行ったので、駅構内の端付近の遠いポイントは遠隔操作が出来ず、駅員がポイントの傍らに出向いて切換レバーを操作しました。

跨線橋に置かれたカップ酒越しに待避線に停車するC58が見えます。 写真左の貨物ホーム付近にはワムが何両も留置され、貨物扱いの豊富さが伺えます。 蒸気機関車時代の駅にはゴミが少なく、ワンマンカーが走る現在より、はるかにゴミの散逸がありません。 駅弁容器は経木に紙の包装紙、紙紐で、ペットボトルもポリ袋も無かった時代。 プラスチックごみ削減に対して、分別収集やマイバッグと消費者に協力を仰ぐだけの対策で、プラスチックごみによる環境破壊は防げるの?と疑問を感じます。 土地を耕す時、プラスチックごみや化学繊維の投棄された衣料や紐やネットは、腐らずに残ることで、たいへんな障害になります。

夏の駅、お嬢さんは温泉帰りか、日本海に海水浴旅行でしょうか? 写真左端には貨車の移動機と保線用モーターカーが置かれた活気ある駅です。

夜の駅。静かな構内に駐機するC58のくゆらすスチームが駅の情景に温もりを与えています。 線路の間には流雪溝が設置され、豪雪への備えも万全です。道路の除雪は自治体任せのトラック輸送は、税金による除雪や道路整備に支えられた輸送体制であることを忘れ、鉄道輸送とコスト比較してきた結果が、現在の公共輸送機関の崩壊です。

乗客が頬かむりして家路に急ぐ冬の駅。厚着と長靴で寒さは凌げますが、厚すぎる夏にどうやって対応していくのか? 気温と共にうなぎ上りの電気料金ですが、これから先、電気は日本において本当に安定供給されるのでしょうか? 想定外の気温の急上昇、あちこちで起きる戦争、今までの常識が通用しない時代になって来ています。

補機の仕業を終えて、単機で山を下るC58。 並走する国道は立派に整備されていますが、まだまだ車の姿は見えません。陸羽東線でC58が活躍した頃は確かに不便だったけれど、子どもたちの将来、50年後を考えた時、現在のような暗澹たる不安はありませんでした。継続可能な社会のあり方について、日々の国民的な議論が求められています。

単機回送の発車を見送る駅長の後ろ姿。静かに確かな時間が流れていきます。駅員の皆さんにも、乗務員や機関区の皆さんにも、輸送を守る気概があった時代。 今や地域間輸送は、各ドライバーに委ねられ、組織だった仕組みは見受けられないように思います。安全だ自動化だと言われますが、ドライバー個人の良識に期待している仕組みの脆さは否めません。

島式ホームでしばし休むC58。 日本が世界大戦に急激に傾斜していく最中に生まれ、戦時輸送や戦後の大混乱の中で、公共輸送を支えてきた機関車のひとつの形式です。中山平駅構内に静態保存されたものは、腐食がひどく解体されました。 腐ったから解体、赤字だから廃線、古いものをドンドン捨てて、侵略戦争も忘れ果て、ケーザイケーザイを連呼して、これから日本はどこへ行くのでしょうか?。 終焉の地、陸羽東線で消えるまで力走したC58型の生涯を振り返るだけでも、見えてくるものは多い筈です。

駅での手作り看板でしょうか?SLが新緑に映える鳴子峡の表記が見えます。 屋根の勾配もキツく、雪止めも見える山間の駅。

 2021年、宮城県ディスティネーションキャンペーンで、陸羽東線にD51型が走りました。列車は鳴子駅で折り返すダイヤで運行され、鳴子峡に汽車の煙が舞う事はありませんでした。

 撮影・写真提供  加藤 潤 横浜市