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釧路から根室へ・根室本線のC58

石勝線への乗客のシフトで富良野から新得駅までの区間が廃止される予定の根室本線蒸気機関車全廃の直前は、D60やD51が奮闘した釧路までは既にDD51に置換えられ、釧路↔根室間にC58だけが残っていました。

釧路↔根室間は長く8620が活躍した区間でしたが、全国で無煙化が進む中で余剰となったC58が投入され、蒸気機関車時代の幕を引く事になりました。滝川駅からの長い道程を走った根室本線も途中区間廃線により寸断されようとしています。

魚の街、根室から釧路に向かう普通旅客列車。寒風に噴煙が流され、この地域の冬の厳しさが伝わります。スケソウダラや毛ガニで栄えた根室水産業も、温暖化により、サケの定置網にブリがかかるようになり、大きく様変わりしようとしています。温暖化対策と脱炭素の大きな流れの中で、ロシアと至近距離にある地域をどうするのか? 地域任せではない長期の計画立案が急がれます。

木材チップの積込み施設が設けられた厚床駅構内。広い駅構内の規模に路線の持つ大きな貨物輸送量がうかがえます。 トラックドライバーの高齢化が貨物輸送の危機となり、にわかに貨物輸送の鉄道輸送への転換が議論され始めていますが、鉄道貨物輸送とは、鉄路のネットワークや、貨物専用線を持つ事業所が各所に存在する社会構造そのものに関わって機能する仕組みです。広大な施設を必要とする鉄道輸送を生かす、全国各地域のバランスのとれた再開発計画だけが、50年後の日本の発展に寄与することは明白です。

冷蔵車の組込まれた貨物列車を牽引するC58。蒸気機関車時代の末期には沿線の炭鉱は閉山されていて、北海道名物のひとつであった長大な石炭列車の姿は既に失われていました。国策で推奨された石炭産業、酪農業、戦後復興に役立った林業など、グローバル化の名のもとに北海道の産業は輸入品にとって変わられ、地域は翻弄され続けました。本来、国策とは、世界を見据えながらも、国家全体の発展を促す筈のものです。国際競争力がないから、赤字だからと目先の金勘定にのみとらわれて、食料安全保障や温暖化対策は出来ません。北海道の鉄路と地域は、国鉄が民営化され損得勘定に委ねられた瞬間から、公共輸送機関の発想が失われ、地域の空洞化にも拍車がかかったのです。

 

厳しい寒気の中で安全確認作業を行う駅員。駅舎内の待合室にはストーブを囲んでベンチが置かれ、乗客は列車を待つ間、暖を取ることが出来ました。鉄道は雪に強いだけでなく、公共輸送機関として優れた機能を持っています。

終着根室へ向け疾走するC58牽引の旅客列車。大正の名機8620の代替を目標に、より強く、より遠く、更には軌道の負担も軽減することを目標に生産されたC58は、当初の目的通り、大正、昭和の長きを走りきった8620の後を継いで、根室本線でも活躍しました。また、普通座席車2両に対して、マニが2両、スユニが1両というこの編成は、根室という日本の鉄路の東の端が、全国へと鉄道で結ばれ、小荷物や郵便事業についても、鉄道輸送が完結していた証でもあります。荷物車、郵便車、そして種々雑多な貨車こそ、長距離急行と並ぶ鉄道輸送の花形です。


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白煙をたなびかせ、下り客車列車を引くC58。太平洋戦争後、C58型を近代化させ強化したC63型が計画された程、C58は日本の脆弱な軌道にマッチした機関車でした。敗戦後の日本には、アメリカから安価な石油が大量に供給され、エネルギー転換の名のもとにC63型の生産が中止された事は、戦後に生産されたC59戦後型、C61型やC62型の大活躍を見ると残念ではありますが、C58型は未登場のC63の分まで、しっかりと活躍したのでした。

凍てつく大地を突き進むC58牽引の貨物列車。北海道の広い大地には、明治時代から続いた開拓の血と汗の結晶でもあります。温暖化による干ばつや豪雨災害で、世界で飢餓が増加している現在、多くの離農者を出している日本の実情は、まさに時代逆行です。 アメリカ式の自由競争一辺倒の資本主義論理から脱却し、国民が豊かに社会生活を送れる国土の利用を促進するモデルを呈示することが、温暖化に立ち向かっていく世界に対して出来る日本の最大の貢献です。日本を含め、世界の子供たちに、少しでも明るい未来を!

北海道型C58の切詰めデフレクターがよく分かるシルエット。 根室本線蒸気機関車時代を締めくくったC58が、富良野新得駅間の廃線論議を聞いたら、さぞや驚き、嘆くでしょう。 脱炭素の全国輸送ネットワークの中核に、鉄道輸送が返り咲く日は遠くはありません。

 

 撮影・写真提供  加藤 潤 横浜市