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ボールドウィンとピーコック・小湊鉄道五井機関区

その昔、キネマ旬報が出版していた蒸気機関車という雑誌の私鉄や専用線の機関車特集に、五井機関区が掲載されていました。雑誌の発行から40年以上が経過してから、まさか残ってはいないだろう?と調べたところ、それらの機関車は千葉県の記念物となり、保管用の屋根の下、五井機関区で保存されていたのでした。

明治時代の代表的機関車のひとつ、イギリスのピーコック製テンダー機関車5500を昭和初期にタンク機関車に改造したB10型。明治中期に登場した頃は、東北本線などの幹線でで疾駆していたのでしょうが、B10型に改造されてからは、関東圏で入換に従事していました。小湊鉄道に譲渡される前、最後に煙を上げていたのは、千葉の鉄道連隊と言う古強者です。B10型は、数ある明治の2Bテンダー改造機の最後の形式でした。

小湊鉄道1号機。古めかしい形をしていますが、大正時代後期の製造で、アメリカはボールドウィン製です。小湊鉄道開業に合わせて輸入された機関車で、小湊鉄道での社歴ではB10の先輩格に当たります。列車の通しブレーキシステムである空気制動装置を搭載していませんから、開業当初の小湊鉄道は、ゆっくりと小単位の列車を稼働させていた事がうかがえます。昭和30年代初期に廃車になり、先に廃車されていたB10と共に、機関区に置かれていたのが雑誌掲載されたのでした。

1号機と2号機のボールドウィン社製造銘板は新製投入を証明するように、見事に連番になっています。ボールドウィン社は世界最大の蒸気機関車メーカーで、大型の機関車から、軽便用の小型機関車まで、豊富なラインナップで世界中に蒸気機関車を供給しました。日本では鉄道院のF2、後に9200となった1Dテンダーや、木曽森林鉄道のB1タンクが有名です。その他にも、世界にミカドの名を広めるきっかけになった1D1テンダーの9700、箱根越に活躍したマレー式CCテンダー9800など日本の鉄道史上に忘れ得ぬ機関車を提供したメーカーでした。

1号機、2号機、B10と、小湊鉄道の導入順に並んだボールドウィンとピーコック。保管施設から線路が伸びていて、小湊鉄道の本線上で煙を上げたら、さぞ素晴らしいと思わせる揃い踏みです。2号機には煙室扉の真ん中に丸いプレートが付けられいるのも、とても良い雰囲気です。

2号機の煙室扉は古典的なクリート止めになっています。

 ボールドウィン社は小湊鉄道の1号機と同型の機関車を他社にも売り込んでおり、私鉄買収で鉄道省編入した同型機は3030型と呼ばれました。 大正後期といえば、汽車会社や日立、日本車両でも盛んに私鉄向けの機関車を生産しており、それらは台枠の外側に弁装置を持つワルシャート式弁装置で、空気制動を持つ機関車もありました。ボールドウィン社が整備に不便と言われた内側弁装置のスチンブンソン式弁装置の機関車を、日本製品に負けずに売り込めたのは、こうした中型の機関車についても、世界中に販路を持ち、品質にも絶対の自信があったからで、蒸気機関車先進国としてのアメリカの力を感じざるを得ません。

千葉県有形文化財の紹介看板。

 小湊鉄道は今では撮り鉄ファンの人気の撮影地となっているようで、機関区見学会なども企画されているようです。古典機関車を見るのは価値のある事ですが、美しく保存を続けておられる小湊鉄道の皆さんの迷惑にだけはならないようにお願い致します。

 

 撮影・写真提供  加藤 潤  横浜市