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蒸気鉄道の魅力・貨物列車

蒸気機関車の時代、日本全国津津浦浦に路線は伸び地方からの産品を全国に輸送していました。蒸気鉄道の貨物列車は鉄道輸送が機能して時代、また地方がしっかりとした地域産品を生産していた時代を伝えてくれます。

 画像は凍てつく大地を踏みしめて進む釧網本線のC58型牽引の貨物列車。

釧網本線厚岸駅に留置された冷蔵車

 蒸気機関車時代の貨物輸送は車扱いと呼ばれた貨車1両を業者が借り切る形態で行われました。厚岸駅に置かれた冷蔵車は10トン積みですから、それだけの量の水産物を集荷する業者が数多く、当時から厚岸駅周辺で営業していたのです。貨物列車が列をなして進む蒸気鉄道の情景は、大口輸送を鉄道に委ねるに足るだけの生産が地域で行われていた証でもあります。

冷蔵車が組み込まれた貨物列車を牽く釧網本線のC58型。

貨物列車の牽引には様々な形式の機関車が使われましたが、蒸気機関車時代の末期には貨物量が集まる幹線筋ではD51を中心にD50やD52型が、貨物量が分散する地方線区では様々な小型、中型の機関車が使われました。 蒸気機関車は太平洋戦争の敗戦までは鉄道は兵器との掛け声のもと酷使され、戦後はほぼ唯一の国産燃料であった石炭を使っての戦後復興需要を支える輸送力としてガムシャラに走り続けました。 日本の社会を一時期支え続けた蒸気機関車は、石炭から石油へのエネルギー転換の中で古臭い機械として淘汰されていったのでした。日本の輸送を長く担った蒸気鉄道の複雑な仕組みを産業遺産として残す取り組みがなされなかったのは残念です。

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広大な原野を行く室蘭本線のD51型牽引の貨物列車。 

 機関車の次位には飼料輸送用のホッパー車が連なり、原木を積んだ無蓋車も多数組み込まれ、当時の北海道で畜産と林業が盛んだった事が分かります。農林業はたいへんな歳月を必要とする産業ですから目先の経済性だけで国家が政策を判断すると立ち行かなくなります。グローバル化の中で国際競争力に乏しくとも国土を保全し地方を活性化するために施策を考える事こそ、政治による真の国益の追究だと思います。

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東北本線小山駅で貨車を入換するC50型。東北本線の仙台以南は早くに電化されましたが、両毛線の貨物列車を牽いていたC50型が駅構内の入換作業に使われていました。

 車扱い貨車は支線を分岐する駅に着くと編成を解かれ行き先別に仕分けされて再び列車に連結されました。大都市近郊には巨大な貨物操車場があり、ハンプを利用した貨物列車の組成が行われていましたが、操車場設備が無い支線接続駅はもちろん、山の中の小駅であっても貨車の車扱いがある駅では到着貨物や発送貨物がある度に入換は行なわれていたのでした。

C56が行く小海線での入換作業。貨車は野菜を運ぶ通風車で高原野菜の最盛期には野菜列車の増発もありました。

 蒸気鉄道の普通の駅には対向列車とすれ違う為の待避線に貨物側線が設置されて、待避線は貨車を入れ換える際には機関車を右に左に移動させる機回り線として活用されました。駅での入換作業の指図書は貨物列車の後尾に連結された車掌車の中で車掌が作成していました。現在の拠点間輸送の貨物列車に車掌車が連結されていないのは途中駅での入換が無いからです。

河岸段丘に沿って走る飯山線のC56牽引貨物列車。

 貨物量が少ない支線ではC56型やC12型といった小型機関車が使われました。地域産品を遠く全国の消費地へ、また地域へは他の地方の産品を運び込む、蒸気鉄道の担った鉄道輸送の役割は他の輸送手段が未発達だっただけに地域の生命線でした。

 雪深い飯山線ではラッセルによる除雪が間に合わなくなると、機関車の次位にマックレーと呼ばれる掻き寄せ車を繋ぎ、更には寄せた雪をロータリー式除雪車で吹き飛ばす為に機関車で押すという、キマロキ編成が運転されました。 キマロキ編成は4両まとまって運用されただけでなく、機関車にマックレーだけを走らせ、後からロータリーと機関車が追いかけたり、 キマロキの前にラッセルと機関車を走らせて、ラキ・キマ・ロキとなったこともありました。機関車は天を覆う排煙を噴き上げ、沢山の除雪作業員が関わって輸送路を確保した豪雪との戦いも、鉄道輸送の衰退とともに忘れ去られようとしています。

切り通しを抜ける会津只見線のC11型牽引の貨物列車。ダム工事の資材を運び上げるのも只見線の大切な役割でした。

 トム、トラなどの無蓋車は木材や鉱石、砂利などはもちろん、画像のようにシートを貼って雨を嫌う機械類の輸送にまで広く使われました。 国鉄の駅と言えばこれらの無蓋車とワム、ワラなどの有蓋車が無闇に多く留置されているのが普通の情景でした。車扱いの鉄道輸送が長距離トラックに転換した際に全国を網の目のように結んだ鉄道の存在意義は失われたのです。

肥薩線吉松駅のホームに停車中の貨物列車。 D51の後部補機を連結して峠に挑みます。

幹線の駅ともなれば待避線を兼ねたホームに貨物列車が停車しているのも当たり前でした。 このありふれた鉄道情景が全て失われるとは、蒸気機関車だけを追って撮影していた僕らには想像も出来ませんでした。 蒸気機関車が消えディーゼル機関車に置き換わって合理化がなされても鉄道貨物輸送の凋落は進み続けたのです。

宗谷本線抜海駅付近の海岸段丘を行く9600型牽引の貨物列車。

 明治、大正、昭和の前半までが蒸気機関車と車扱い貨車による貨物輸送が鉄道の持つ大量輸送手段としての本質を発揮出来た時代であったと過去形で語る事には些か納得が行かない側面があります。 地方の各地に大量輸送を必要とする産業がキチンと育成されていたなら、鉄道貨物輸送は生き残っていたのではないのか? また道路に国道、県道があるように鉄路も公共資産であったなら現状とは異なる形での鉄道貨物輸送があり得たのではないか? 政府による政治献金目当ての大企業への利益誘導が余りに多くの弊害を起こし続けて来ました。

 また組織化されないドライバーによる長時間拘束労働によるトラック輸送への転換は、日本の労働運動の核のひとつであった国労動労の弱体化にも結びつきました。労働運動の後退が日本の民主主義を危うくさせている現実は非常に危険です。

室蘭本線で長い直線区間を疾駆するD51型牽引の貨物列車。道央の炭田と室蘭港を結んだ大幹線であった室蘭本線も遂に廃線の槍玉に上がる程、今は荒廃しています。

 いつでもどこでもみられたD51型と貨物列車を見ていると、こみ上げる懐かしさとは別に、鉄道貨物輸送の衰退とともに歪んだ現在の日本の社会を思わざるを得ないのでした。

 写真撮影と提供 加藤 潤 横浜市