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足尾銅山へ通うC12・足尾線

広島、長崎を語る時、被爆の歴史が語り継がれるように、百年公害と呼ばれた足尾鉱毒事件もまた、事実として忘れてはならない日本の歴史です。

銅鉱石を降ろして空車になったトラと、硫酸を抜いて空車のタキを連ね、軽々と坂を下るC12。炭庫に補助灯が追加され、エンドビームは虎模様に塗られた安全重視仕様です。駅の構内で入換をする機関車には、このような虎模様に塗られた車両が蒸気機関車末期には散見されました。残念な事に、入換作業中の人身事故が起きていたからです。 また、この機関車では、炭庫が屋根の高さまで嵩上され、ハシゴと前照灯の間に、後方監視窓が増設されて、長い距離を逆向き運転で走る足尾線仕様とも言える勇ましい出で立ちです。

渡良瀬川沿いに勾配を登坂するC12の重連貨物列車です。軽量級のC12にとって、重い鉱石や硫酸を運び上げるのは容易ではありませんでした。ゆっくりと排気音を轟かせて登る2両のうち、片方の動輪が空転すると、リズミカルに続いていた排気音の響きが乱れ、空転した機関車が撒き砂で空転を抑え、動輪がルールを掴み出すと、再びリズムが揃って来るのでした。

険しい斜面に噴煙が立ち上るC12の登坂です。 渡良瀬川渓谷を生んだ山々は険しく、上流に位置する足尾銅山が山肌を荒らした事により、渡良瀬川流域の洪水被害は拡大しました。昭和初期には、暴れ川と化した渡良瀬川の洪水被害が下流域にまで及ばないようにする為と、足尾銅山から流れ出る重金属等の汚染物質を沈殿させるために、小山市渡良瀬川遊水地が設けられました。広大な遊水地を作る為に、居住していた住民は土地を追われたのです。

鉱石満載のトキを引き、渡良瀬川を橋梁で越えるC12。こうして見下ろすとC12の小型ぶりが際立ちます。渓谷の岩肌は荒々しく、足尾銅山開発に合わせた鉄道建設の過酷さを伝えるようです。足尾銅山からの汚染水問題は、渡良瀬川下流域での鮎の死滅から知られるようになりましたが、国会でも議論されたにも関わらず、因果関係が不明瞭とされ、下流域の広範囲の汚染につながっていきました。

連続投炭で黒煙を吹き上げるC12。C12の石炭搭載量は1,5トンしかありませんので、片道40キロを超える足尾線は、本来ならC56型が配置されるべき路線です。ただ鉄道施設としては、終点の間藤駅に転車台がなく、急勾配、急曲線が連続する区間を逆向き運転で下らなくてはならない為、C56型の投入は見送られました。 同時にC56型は製造された中の過半数90両が泰緬鉄道へ送られ、日本国内では不足していた影響もあると思われます。 間藤駅には給炭台が設置され、C12に石炭が積み込まれていました。

汽笛を鳴らしながら坂を下るC12の重連牽引貨物列車。 登り勾配では噴煙を吹き上げ、爆音を響かせるC12の重連も、空車を引いた下り勾配では別人のように穏やかです。

渡良瀬川遊水地を優雅に飛ぶコウノトリ。      撮影・写真提供  小沢 直子 

ラムサール条約に指定された渡良瀬川遊水地に、地域の皆さんの努力が実り、コウノトリが復活しました。 この渡良瀬川遊水地の土中にも、今だに足尾銅山からの重金属は堆積し、東日本大震災では、足尾銅山跡の沈殿池から汚染された水が漏れ出して、渡良瀬川の鉛濃度が上がりました。コウノトリの復活は嬉しい限りですが、公害で汚染した自然は、なかなかもとには戻りません。

餌を探しに水路に降りるコウノトリ。      撮影・写真提供 小沢 直子 

 コウノトリは江戸時代までは全国に生息していた日本人にも馴染みのある鳥だったのですが、明治時代以降の乱獲で、日本国内では絶滅しました。種の復活を果たすため、海外から輸入したコウノトリを、有志の皆さんが苦労を重ねて、少しずつ数を増やしています。

 

山肌に刻まれた鉄路を踏みしめるように辿るC12。速度が遅いため、噴煙が垂直に近く立ち昇ります。

 

 美しい渡良瀬川渓谷や渡良瀬川遊水地は今では優れた観光資源ですが、今に至るまで、飽くこと無く自然を破壊し続けた日本の文明への振り返りは、美しい自然を愛でると同じように大切です。

 

  撮影・写真提供 加藤 潤 横浜市