奥羽山脈を超えて仙台平野と庄内平野を結ぶ陸羽東線は、日本の田舎をひた走る路線でした。地味なC58が活躍する路線として、平凡な風景はお似合いだったかもしれません。
日本の冬、西高東低の気圧配置になれば、奥羽山脈は雪に覆われます。この積雪が、雪解け水になり、また豊富な地下水となり、山には樹木が、田畑には作物が育ちます。この日本ではありふれた、山と川と田んぼの織りなす風景が、どれだけ恵まれた環境か。温暖化による世界の干ばつや、大洪水の報道を見るにつけ、ありふれた山と川が、とてつもなく貴重に思えて来ます。
宮城県と山形県を結ぶという以上に、太平洋と日本海をつなぐ鉄路のど真ん中に位置した陸羽東線は、列車単位の大きな貨物列車が行き来しました。宮城県には、太平洋に向いた港湾に石油精製施設があり、陸羽東線では下り列車に積車のタキが多く連結されて、 重い貨物列車となりました。C58は重連で峠に立ち向かいます。
稲わらの積まれた刈り田を行くC58牽引の貨物列車。重い貨物を効率的に運ぶために開発されたのが鉄道輸送ですから、貨物輸送を抜きに鉄道の経営は語れません。地域に貨物を運び、地域の産物を集めて運ぶ、鉄道は公共輸送機関であり、公共の施設です。過疎なんだから鉄道は要らんと言うのであれば、税金を投入した道路建設や道路補修も止めれば良いでしょう。今は過疎地と呼ばれる全国の地域が、過去、日本の発展に果たした役割と、これから100年の未来に向けての可能性を考えた時、過疎地切捨てや廃線が、正しい選択なのか、見直す必要はありそうです。100年先には、化石燃料は枯渇し、今より更に温暖化は進みます。
中山間地を行くC58牽引の客車列車。斜面を切り拓いた線路から田んぼに続く法面の下には小川が流れ、田畑を潤します。 こうした農村には居久根と呼ばれる屋敷林の文化があり、家を新築した際に周囲に建築用資材になる樹木を植えて育て、子孫の建築に備える伝統がありました。便利だ、豊かだと目先の享楽を追い求め、財政赤字も核廃棄物も温暖化も次世代に負の遺産として残す日本人にも、百年先を見据えて暮らした時代は確かにあったのでした。 藁葺き屋根の農家の西北側には、防雪林を兼ねた居久根が見えます。
奥羽山脈から流れ出す水量は豊富で、支流を集めるにつれ、川幅は広がり、長い鉄橋が架橋されます。今となっては、豊かな水資源があるだけでも心強い中山間地をC58は淡々と走り続けていたのでした。
撮影・写真提供 加藤 潤 横浜市