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日本の最東端を走るC58・根室本線

函館本線滝川駅から分岐し、富良野新得、帯広、池田を経て釧路に達し、更に根室まで到達した根室本線。函館から釧路までを14時間以上かけて走破した北海道の蒸気鉄道時代の名物列車急行まりもは、午後2時過ぎに函館を発ち、函館本線を経由して札幌で座席車3両を切離し、オロネを含む寝台車を連結して釧路に向かいました。根室本線新得駅で日付が変わり、朝6時過ぎに釧路に到着、釧路で客車2両と荷物車、郵便荷物車を切り離し、釧路からは普通列車として根室に向かいました。

根室を出発し、疾走するC58。 牽引機は変形デフレクターにJNRの切文字を貼り付けた33号機です。また、C58に連なる客車は、急行まりもを構成する編成で、釧路駅で急行まりもに併結されました。客車は函館へと走り、マニとスユニは青函連絡船で航送して、本州へと渡り、隅田川まで行く車両です。 このように線区毎に機関車を付け換えて、解結をしながら進む長距離急行が、蒸気鉄道時代の長距離旅客輸送の形でした。こうして本州と北海道連絡の最終到達点であった釧路↔根室間も、JR北海道の廃止候補路線になっています。

まりもから切り離された釧路発根室行の客車から見るC58のテンダー。急行まりも組込みだけあって、普通座席車でも、背もたれがモケット貼りの立派な客車が使われていました。旅費を節約したい乗客は、この車内で札幌や函館から根室や釧路へと旅したのです。

冷蔵車が留置された厚岸駅のプラットフォームには、駅弁のスタンドもありました。列車到着ともなれば、客車の窓越しに乗客は特産品の弁当を買い求めたのです。 また、留置された冷蔵車に海産物が積み込まれると、冷蔵車は上り貨物列車に連結され、消費地へと向かいます。中には遠く築地市場や、黒門市場へと向かう車両もありました。スケソウダラの漁期ともなれば、冷蔵車はタラコを満載して博多まで送り出されたのです。冷蔵車1両の積載量は冷蔵の大型トラックと同等ですから、30両を1台の機関が引けば、機関士、機関助士、車掌の3人でトラックドライバー30人分の輸送をこなす事になります。

 

厚岸湾沿いを根室方面に向かうC58。 太平洋炭鉱をはじめ、大小の炭鉱が集中した釧路は、石炭の積出港でもあり貨物が集中していた為、釧路から帯広方面の根室本線にはD60やD51が投入されました。一方、日本の東の端に位置する根室から先は納沙布岬と花咲半島で、根室はまさに終着駅でした。根室は水産基地ですが、その他にも近隣からの農産物や木材の集積地があり、もちろん道東の観光の拠点でもありました。根室駅の構内はプラットフォームこそ1面しかありませんでしたが、広大な側線に貨車が留置され、東の端の物流拠点として機能していたのです。きつい勾配が無く、軟弱な地盤で距離の長い釧路↔根室間は、足が早く軸重の軽いC58にとって、うってつけの路線でした。

貨物列車を従えての発車直後、シリンダーから凝結水を線路に吐き出し、加速するC58。 平坦線では客貨に使用できる万能機で、太平洋戦争中も、戦後も生産された実績や、C58をベースとしてC63型が計画された事からも、8620型の長所を発展させたC58型は日本全国の長距離支線向けた機関車の決定版と言えます。

冬枯れの湿原を行くC58牽引の貨物列車。温暖化による気候変動で、毎年、数え切れないほどの動植物が失われている現在、地球は人類の文明に由来する大絶滅に、すでに突入しています。今すぐ、多少の不便は我慢してもエネルギー効率の良いシステムへの切替が必要です。 大都市集中は化石燃料多消費の条件下で発達した過去の産物に過ぎません。省エネルギーの鉄道輸送を物流の中心に据えた、再生エネルギーの地産地消と職住一致による勤労者の福祉増進が可能な、地方分散、地方再生こそが待ったなしの日本の課題です。神宮の杜の再開発や、大阪万博への公金の投入は、まさに時代遅れ、時代錯誤です。

日本の最東端の終着駅根室で給水するC58。北海道の給水タンクには凍結防止の為のボイラーが設置されて、給水タンクの架台は木製や煉瓦の壁で覆われてボイラーの煙突が突き出していました。

 日本の畜産史上、稀にみる被害を出したOSO18でしたが、駆除された個体は大きいのに痩せており、温暖化による自然環境の激変が、北海道の陸生動物の頂点に位置するヒグマにさえ、過酷な影響を与えていた事がわかります。痩せたヒグマの市街地への出没は、自然界を代表して山の主が、人類に対して、今すぐ何とかしろ!と、直接警告を与えているかのようです。昔のように、河川に大量のサケが遡上していれば、ヒグマは市街地になど来なかったと思います。

北の大地に建つ、明るい雰囲気の待合室を持つ駅舎。公共輸送機関としての温かみに溢れています。 尾幌駅には当時、大きな製材所があり、盛んに木材を搬出していましたが、今は側線も待避線も引き剥がされ、車掌車の廃車体が待合室代わりに置かれた無人駅になってしまいました。輸入材が安いから国産の木材なんかは要らんという考えが資本主義なら、満員電車で通勤し、狭い住宅に長期のローンなんか払いたくない!というのが民主主義です。 製材所が立ち行かなくなった際に、従業員や地域を守るために、新しい職場を用意する事が本当にできなかったのか?、脱炭素の継続型社会に切り替えるためには価値観を劇的に変えなくてはなりません。 もちろん、満員電車と住宅ローンが大好きだと言うのなら、今の日本も民主主義なんでしょうが。

C58が無煙化で消えた時代、石油万能の豊かで便利な社会の幕開けが期待されたと思いますが、いつの間にか人間不在の貨幣だけが万能の社会になってしまいました。勝ち負けを争う前に、最優先で温暖化対策を進めなくては、大きく間違うところに今、僕たちは立っています。

 

 撮影・写真提供 加藤 潤  横浜市

 急行まりもの車両の解結、また33号機の特徴については、横溝眞一氏より貴重な情報をいただきました。心より謝意を表します。