お安く気軽にゆるっと16番

HOや16番の金属工作を最小限の工具と労力でゆるっと楽しんでいます。皆さんも是非やってみて下さい。

厚岸湾と厚岸湖・根室本線のC58

釧路から根室へ向う中間点に厚岸の町があります。町の西に厚岸湾、東は汽水湖である厚岸湖が広がり、豊かな海産物に恵まれた町です。札幌から離れ、あまり観光地化されていない地域の北海道の方々は、厳しい自然環境の中で自然と向き合う機会が多いからなのか、たいへん優しい方が多いです。そんな町を通り、C58は東に西に、乗客と貨物を運んでいたのでした。

厚岸を出発し、根室方面へ向うC58牽引の客車列車。凍てついた厚岸湖を車窓から眺め乗客は、日本最東端の駅、根室へと向かいます。

たいへん美味しい牡蠣の産地として知られる厚岸湖は外洋の海水の流入が少ないため、冬場には凍結して、降雪があれば一面の雪原となりました。厚岸の牡蠣の漁業者は、季節によって厚岸湖から太平洋に面した厚岸湾へと、牡蠣を移動させる事で、高品質の牡蠣を生産しています。厚岸のまわりに広がる汽水と海を知り尽くした漁業者の工夫と努力が、特産品を生み出しています。

凍てついた湖岸に白煙をたなびかせ、根室方面に向かう貨物列車。冷蔵車が数多く連結されていることからも、この地域が豊かな漁場に恵まれていることがわかります。

 厚岸町のある地域に人間が定住したのは、6000年以上前で、縄文時代には人が住みついていました。厚岸湖の牡蠣やアサリなどの魚介類が、人々を定住させていたのでしょう。 江戸時代には、北海道を管轄した松前藩の御用商人がアイヌ民族と特産品の公益を始め、厚岸町に拠点を設け、函館から北前船で関西へと昆布その他、水産乾物を送り出していました。

客車に貨車を連ねた混合列車を引くC58、汽笛のスチームも寒風に吹き流される根室本線の冬景色です。

 江戸時代も末期になると、厚岸にもロシア船やフランス船、オーストリア船などが来航するようになり、厚岸は北方防衛の要衝として、江戸幕府の直轄地となりました。北海道の南からは和人と呼ばれた日本人、樺太や千島列島沿いにはロシア人が南下して、この地域の先住民族であったアイヌ民族が自由に活動出来る範囲は著しく狭まっていきました。漁業経営や開拓にアイヌ民族が雇われ、日本への同化策も加わって、彼らの生活様式であった狩猟と採集の営みや独特の文化も急激に壊されていったのです。

 

厚岸の町を後に加速するC58牽引の旅客列車。厚岸湾と厚岸湖を分ける浜辺にある厚岸町は、大正に入って根室本線が到達するまでは、海路が輸送の中心で、千島列島へ渡る玄関口でもありました。明治期からは旧士族が屯田兵として厚岸から内陸に向けて開拓に従事しましたが、冷涼な気候は農作には適さず、酪農を取り入れる事で、この地域の開発は加速しました。和人の地域開発は、残っていたアイヌ民族を更に圧倒して、17世紀には千島、樺太から、アラスカやシベリアまで、交易していたアイヌ民族は消滅の危機に瀕しました。そんな中で明治後期には土人保護法が制定されましたが、昭和に入り、軍国主義の台頭と、その後の敗戦の混乱の中で、アイヌ民族の文化は失われ現在に至り、今もアイヌ文化の掘り起こしが続けられています。アイヌ民族に対して、江戸幕府大日本帝国が、長く迫害を続けていた歴史は、アイヌ民族は文字を持たなかった為、日本人が書き残した歴史史料から読み解くしかありません。

凍結した厚岸湖岸を走るC58牽引の混合列車。

根室本線の名がついてはいますが、C58の引く混合列車が運行されていた事からも分かる通り、釧路↔根室間は非常に支線色が濃い路線でした。 冬場の混合列車は蒸気機関車のスチームを利用した蒸気暖房への対応から、蒸気機関車の次位に客車を連結した編成になるのが普通の運用でした。 駅に到着すると、機関車は客車から離れ、列車の後部に回って貨車を切り離して貨車の入換を行いました。長い停車時間の間、乗客は吐息に曇った窓ガラス越しに、駅の風景を眺めたり、手持の本を読み進めたりしたのでした。この写真の釧路へ向かう混合列車では、貨物の多くは釧路方面に出荷されますから、C58の駅での入換作業は、もっぱら貨車の増結だったと思われます。 機関士と貨車の連携に携わる駅員との間には、「しばれるね〜」から始まる会話が交わされたことでしょう。

側線に冷蔵車が留置された厚岸駅のプラットフォーム。 最盛期2万人を超えた厚岸町の人口は、今は9000人となっていますが、海産物のブランド化など、地域の活性化に地道に取り組んでいます。 温暖化による水産資源の急激な変化に対応して、汽水湖がもたらす海の幸を活用して厚岸町が健やかに発展するように祈っております。

貨物列車を従えて出発、奮戦するC58。

 十勝沖地震やチリ津波など、幾度もの津波被害を受けながら、そのたびにたくましく復興を遂げた厚岸町は、温暖化に向かう我々に対して、限りない勇気を与えてくれると思います。

 撮影・写真提供  加藤 潤 横浜市